親友マードックとバルトン、コナン・ドイル2016/12/17 06:31

 もう一つ、平川祐弘さんの『漱石の師マードック先生』から。 1889(明治 22)年7月26日に来日したマードックは、第一高等中学校の新学期まで暇が あったので、いずれは日本案内記を出版しようという下心もあって、前年に引 き続き、方々を旅行した。 その後も休みごとに旅券を申請して(条約改正以 前の日本では外国人が国内旅行をするのにも一々お上(かみ)の許可が必要だ った)、方々を旅行し、その見聞を旅行記にまとめた。 『東海道』、『箱根』、 『日光』など一連の大型豪華本を、明治25(1892)年から26年にかけて、写 真師小川一真(かずまさ)や時には鹿島清兵衛との協力で、小川の写真を中心 にマードックが英文解説を寄せる形で出版した(『忠臣蔵』を語った書物もある)。

 来日当初のマードックは、明治20年代の東京で、現代日本の開化は西洋の 猿真似で、皮相上滑りの開化だと思っていて、小川一真が日本を海外に紹介す るつもりで美しい東海道の写真集を企画したのだが、その第1ページに「日本、 この西洋の下手な翻訳!」という一西洋外交官の言葉を引いたのだった。 他 にも、平川さんがあまり趣味のよい書物とはいえないという『日本の於るドン・ ジュアンの孫』(明治23(1890)年6月、博聞社刊)や、『あやめさん』(明治 25(1892)年)を刊行している。

 このように『漱石の師マードック先生』に小川一真は出て来るが、私の見た 限りで、バルトンは出て来ない。 私のこのブログの一連は12月10日、稲場 紀久雄さんの『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』(平凡社)に、バルトン の親友としてマードックが出て来る(176頁)と書いて始まった。 稲場さん の本のグラビアに、『あやめさん』(メッツ・陽子氏所蔵)のお座敷舞の“連続 写真”があり、説明には「親友ジェームズ・マードックの著書『あやめさん』 の連続写真を引き受けたバルトン先生。今にも動き出しそうな華やかな舞いの “連続写真”は、動く映像への先駆けを感じさせる」とある。 稲場さんは本 文で、マードックとバルトンにこう会話させている。 「(ロチ『お菊さん』の ように)僕も日本女性が登場する小説を書く予定がある。ロチは、挿絵を何枚 も使っているが、僕は君の写真を使いたい」「君のことだ、手伝うよ。そうそう アーサーから最新作を送ってきたよ」 バルトンが取り出したのは週刊誌『ピ ープル』、アーサー・コナン・ドイルの「ガードルストーン商会」が掲載されて いた。 シャーロック・ホームズの作者で、3歳下のアーサー・コナン・ドイ ル(1859-1930)は、1860年代、スコットランドのエディンバラで、バルト ンと兄弟のように仲良く幼少年時代を過ごした親友だった。

 稲場さんはさらに、ドイルが後にこの最初の長編小説『ガードルストーン商 会』をチャトー&ウィンダス社から単行本として刊行した際、巻頭に“旧友、 東京帝国大学教授ウイリアム・K・バートンに捧げる”と献辞を掲げた、と書 いている。 そしてマードックは、第一高等中学校の生徒たちに「コナン・ド イルという新進作家がいる。いまに英国文壇の花形になるだろう」と話して聞 かせた。 その生徒たちの一人がジャーナリストの山縣五十雄であり、その山 縣がドイルの小説を翻訳・紹介した先駆者である、と書いている。