「保守」にとっての「立憲主義」2018/05/12 07:06

 次に中島岳志さんは、「立憲主義」について考える。 「立憲主義」とは、憲 法によって権力に制約を加え、憲法をしっかり守らせるというものである。  「国民の人権を尊重しなければならない」とか「表現の自由を侵してはいけな い」といったように、権力が暴走しないための歯止めとして存在しているのが 憲法だ。 しかし、この「立憲主義」は、民主主義の考え方と衝突してしまう ことがある。 民主主義は、国民主権を前提とする考え方だ。 国民は自らの 代表者を選挙で選ぶ。 国会議員は主権者である国民によって選ばれた存在で あり、彼ら/彼女らは多数派の意思を国民の意思として政治決定を行う。

 民主主義の考え方が絶対視されると、立憲主義を敵視する見方が出て来る。  憲法は、国民によって選ばれた国会議員の決定に対して制約を加えるのだが、 これは民主主義への制約であり、圧迫ではないか、そんな批判が出て来るのだ。  「保守」は、このような見方を採用しない。 「保守」は、民主主義の暴走に 対して「立憲主義」の擁護を基調とする。

 民主主義は時に猛威を振るう。 国民の多数派が選んだ政治家が、少数派の 意見をまったく聞かず、邪魔者扱いをして弾圧すれば、そこには民主的な専制 政治が生まれる。 「保守」は、いかに民主的に選ばれた政府であっても、「立 憲主義」による制約を受けることを前提とする。 もちろん、選挙における「国 民の決定」も、憲法によって制約される。 いくら多数決で決めても、それを 憲法によって否定することがある。 それが「立憲主義」である。

 そこで中島岳志さんは、では、国民や政府は、憲法を通じて誰から制約を受 けているのだろうか、と言う。 それは死者たちからだ、とする。 現在の秩 序や社会のあり方は、先人たちの長い年月をかけた営為の上になりたっている。  数えきれない無名の死者たちが、時に命を懸けて獲得し、守って来たのが、自 由をはじめとする諸権利だ。 死者たちの試行錯誤と経験知が、今を生きる国 民を支え、そして縛っているのだ。

 中島さんは、「保守」にとって重要なのは、死者の「立憲主義」だと言う。 憲 法は、死者による権力に対する制約であると同時に、民主主義の過剰に対する 歯止めである。 人間は間違いやすい。 いくら国民の多数に支持された内閣 であっても、不完全な人間によって構成される以上、その中に誤謬が含まれて いる。 そのため、その誤謬によって国民の生命や権利が踏みにじられないよ うに、憲法による制約が必要不可欠になる。

 憲法は、英語でConstitution、この語は「構造」という意味を含んでいる。  「保守」にとっての憲法は、死者たちの営為によって構築されてきた「国の構 造」を意味する。 現代を生きる私たちは、なんでもかんでも自由に変えるこ とのできる権利など持っていない。 歴史のフレームに沿いながら、先人たち の経験知の集積であるConstitutionをしっかりと遵守する。 自己を超えたも のへの畏敬の念を持ちながら、時代の変化に応じて変えるべき点については「微 調整」を加える。 これが「保守」にとっての「立憲主義」のあり方だと、中 島岳志さんは主張する。

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