秩父丸と鎌倉丸、日本郵船とソフトバンクの「二引」2018/06/30 07:06

 「大塔宮」(鎌倉宮)のところで、本井英先生から、興味深いお話を伺った。  日本郵船に秩父丸という貨客船があった。 昭和5(1930)年就役、浅間丸、 龍田丸とともに、北米航路で「太平洋の女王」といわれた浅間丸型客船の一隻 である。 それが昭和14(1939)年1月、鎌倉丸と改名し、それまで祀って あった秩父神社の神霊に替わって、ここ鎌倉宮の神霊が船橋内に奉安された。  なぜ、そうなったか。 昭和12(1937)年の内閣訓令で、ローマ字表記が、 ヘボン式のChichibu-Maruから、訓令式のTitibu-Maruと変更になるところ、 英語の“Tit”は乳首を意味する俗語なのが問題となり、逓信省から船名変更を 余儀なくされたという。

 鎌倉丸は、昭和16(1941)年1月23日、野村吉三郎駐米大使(特命全権大 使)が日米交渉のためにアメリカへ向かうのを乗せたが、同年7月サンフラン シスコ航路が休航となり、8月17日神戸着の最終便で重光葵駐英大使らを乗せ て戻った。 戦争中は、海軍に徴用され、軍用輸送船、戦時交換船として活躍 した。 昭和18(1943)年4月28日、フィリピン方面で、アメリカ海軍潜水 艦の魚雷攻撃を受け、沈没した。

 本井英先生は、海軍軍人ではない、徴用された民間の沢山の船舶の船員たち、 多くは海軍には行きたくなくて商船学校に入った人々が、戦没死していること に注目される。 金子兜太さんのトラック島でも、海軍の艦船は早々に逃げ出 してしまったのに、民間の船舶だけが残されて攻撃を受けたそうだ。

 日本郵船といえば、高円宮絢子さまと婚約したのが日本郵船社員だというこ とだが、昭和11(1936)年に高浜虚子がヨーロッパへ渡航したのが、日本郵船 の箱根丸(約1万トン)だった。 この旅行のことは、その跡をほぼ半世紀後 に辿った本井英先生の『虚子「渡仏日記」紀行』(角川書店)に詳しい。 鎌倉 宮で、日本郵船の旗章(マーク)が「二引」、白地に赤いライン二本であること が話題に出た。 これは明治18(1885)年に郵便汽船三菱会社と共同運輸会 社と大合同して日本郵船が誕生したことと、日本郵船の航路が地球を横断する 決意を示したものだそうだ。

 私はその時、そういえばソフトバンクのマークも「二引」だと言った。 な ぜかは知らなかった。 帰ってから調べると、このブランドシンボルは孫正義 さんの起業に当たっての志、激動の幕末に自由な発想と大胆な実行力で近代を 開いた坂本龍馬に共感と敬意を持って、その海援隊の旗印をモチーフにしたも ので、「情報革命で人々を幸せにしたい」、=「イコール」と「アンサー」、世の 中の抱える問題に答を導きたい、コミュニケーションの双方向性、インターネ ットの無限の可能性などを意味しているという。

 三菱を創業した岩崎弥太郎も土佐で、2010年の大河ドラマ『龍馬伝』では、 幼馴染のように描いていたから、岩崎弥太郎も海援隊と関係がありそうだと思 ってしまうが、記録では二人の出会いは慶應3(1867)年春、龍馬が暗殺され るわずか数か月前のことだという。 また、帰途、鎌倉宮のバス停で福沢諭吉 に「岩崎弥太郎は海の船士を作り、福沢諭吉は陸の学士を作る」という手紙の あることを、本井先生にお話した。 その両方を、2010年と今年の下記ブログ に書いていたので、興味のある方は、ご覧下さい。

岩崎久弥・叔父弥之助と馬場辰猪<小人閑居日記 2010. 12.26.>

『福澤諭吉事典』の刊行成る<小人閑居日記 2010. 12.27.>

長谷山彰塾長の「年頭挨拶」<小人閑居日記 2018.1.14.>

小人閑居日記 2018年6月 INDEX2018/06/30 11:11

7824 樺太調査団参加、帰郷、再上京と信時潔<小人閑居日記 2018.6.1.>
7825 熊谷守一《某夫人像》の謎<小人閑居日記 2018.6.2.>
7826 古今亭志ん吉の「熊の皮」<小人閑居日記 2018.6.3.>
7827 三遊亭好の助の「蚊いくさ」<小人閑居日記 2018.6.4.>
7828 柳家小満んの「鉄拐」前半<小人閑居日記 2018.6.5.>
7829 柳家小満んの「鉄拐」後半<小人閑居日記 2018.6.6.>
7830 柳家甚語楼の「ちりとてちん」前半<小人閑居日記 2018.6.7.>
7831 柳家甚語楼の「ちりとてちん」後半<小人閑居日記 2018.6.8.>
7832 橘家圓太郎の「五人廻し」前半<小人閑居日記 2018.6.9.>
7833 橘家圓太郎の「五人廻し」後半<小人閑居日記 2018.6.10.>
7834 『モリのいる場所』の樹木希林<小人閑居日記 2018.6.11.>
7835 さりげないユーモアが支える99分<小人閑居日記 2018.6.12.>
7836 映画と実際、虚実のあわい<小人閑居日記 2018.6.13.>
7837 横浜初等部で信時潔についてのレクチャーを聴く<小人閑居日記 2018.6.14.>
7838 信時潔旧蔵のピアノとリードオルガン<小人閑居日記 2018.6.15.>
7839 信時潔作曲作品のコンサート<小人閑居日記 2018.6.16.>
7840 「嘉祥饅頭」と6月16日「和菓子の日」<小人閑居日記 2018.6.17.>
7841 滝鼻卓雄さんの「ジャーナリズムと権力」を聴く<小人閑居日記 2018.6.18.>
7842 民意をつかむジャーナリストの方法<小人閑居日記 2018.6.19.>
7843 滝鼻卓雄さんの「ジャーナリストの仕事」とは<小人閑居日記 2018.6.20.>
7844 「目高」と「五月闇」の句会<小人閑居日記 2018.6.21.>
7845 佐藤允彦さん、銀座ジャズピアノ事始<小人閑居日記 2018.6.22.>
7846 佐藤允彦さんのピアノが歌ったナンバー<小人閑居日記 2018.6.23.>
7847 「有楽町」今昔ものがたり<小人閑居日記 2018.6.24.>
7848 スバル座とガード下の飲み屋街<小人閑居日記 2018.6.25.>
短信 7849 『下山の時代を生きる』<等々力短信 第1108号 2018.6.25.>
7850 「TOKYOディープ」「三田」<小人閑居日記 2018.6.26.>
7851 三田に自力で自宅ビルを建てている男<小人閑居日記 2018.6.27.>
7852 枇杷の会、鎌倉・二階堂界隈吟行<小人閑居日記 2018.6.28.>
7853 二階堂、鎌倉虚子立子記念館での句会<小人閑居日記 2018.6.29.>
7854 秩父丸と鎌倉丸、日本郵船とソフトバンクの「二引」<小人閑居日記 2018.6.30.>