古今亭文菊の「笠碁」後半2018/08/29 06:30

 たった一目で、大喧嘩になった。 二、三日は、お孫さんを連れて上野浅草 へ出かけたりして、気を紛らわせていたが…。 碁敵は憎さも憎し、懐かしし。  よく降る雨だねえ。 婆さん、お茶を淹れておくれ。 朝からお茶ばかり飲ん でいて。 猫を膝から下ろして、私にお茶を淹れてくれ、この猫ババア。

喧嘩なんか、するもんじゃないね。 あいつ、何で金のことを言い出したの かねえ。 小僧さんでも迎えに寄越せばいいじゃないか。 あいつは痔持ちだ、 こう雨が降ると、痔が出てるんじゃないかな。 痔が出ると、寝込んじゃうか ら、見舞に行ってやるか。 あいつの家の前を通ってみるかな。 「おい」か なんか、言うだろう。 どこへ行くんだ。 ちょいと、そこまで。 帰りにど うだ、となるだろう。 ちょいと婆さん、傘貸してくれ、ちょいと出かけよう と思うんだ。 あれは私があとで買物に出るのに差すんです。 私のはバラバ ラになってる、隠居所に傘はないのか。 傘は貸さないと、言ってるんです。  去年、お山した時の菅笠があったな、何でも取っとくもんだね。 婆さん、行 ってくる。 およしなさい、また喧嘩になる。 あいつの家の前を通るだけだ。  いい塩梅に、あいつ店に出てるかな。 ちょっと、覗くか(首を振って、見な いふりをして、見る)。 難しいもんだな。

 貞吉、貞、火種がないんだ。 どうしたんだ、早くしなさい。 誰だい、こ こを掃除したのは、長松か、縞だらけだ、雑巾をキュッと絞ってないからだ。  やり直しなさい。 貞、何だ。 火種です。 私は、ここで鍋やろうってんじ ゃないぞ、二つ三つ頭出しときゃあいいんだ。 お前の頭じゃない。 よく降 るね、よく空に水があるな。 番頭さん、あくびするんなら、奥へ行きなさい。  表へ向かってするな。 ご退屈でございましょう。 碁会所(ごがいしょ)で も行かれたらいかがで。 相手がいない、強すぎるんですよ。 美濃屋を呼び にやりましょうか。 大喧嘩したんだよ、お前、あの時、顔を出してくれれば よかったのに。 目くばせしたんだ、薄情なんだよ、お前は。 ダナ様の方が、 どうしてもって、言いましたよ。 金のことを言ったのは、悪かったよ。 あ いつは強情だ。 近頃、凝り固まって来た。 何をしているんだろう、退屈し ているんだよ。 私がこれだけ退屈しているんだから。 来るがいいじゃない か。 来たよ、美濃屋が。 碁盤の支度を、いつもの部屋に、羊羹も切ってく れ、あいつは甘い物が好きだ。 変な恰好をしているぞ、菅笠かぶって、向こ うがしを歩いている。 いいんだよ、声をかけんな。 首を振ってる。 行っ ちまったよ。 碁会所へ行ったんでしょうか。 私としか、打てない碁なんだ よ。 戻って来たよ。 わかってんだよ。 右から左へ、帰っちゃったよ、そ ういう奴だよ。 いるいるいる、ポストの脇に、突っ立っている。 入りにく いんだ。 碁盤、こっちへ、店に持って来い。 白はあいつ、私は黒。 パチ ッ! パチッ! この音、聞けば、我慢できるはずがない。 あいつは巳年生 れだから、執念深い、とことん付き合おう。 あいつは頑固がいい。

 出るものか。 出てきたよ。 見えるか、ヘボッ! 待てないのが、ヘボッ じゃないか。 なんだ、ザル! 大ザル! 大ヘボッ! ここへ盤が出てる。  ヘボだか、ザルだか、一丁やってみるか。 おう。 喧嘩はしないほうがいい な。 おかしいな、盤に水が漏るね。 アア…、待った。 頼むから、お前さ ん、その菅笠取ってくれ。