夢であうまで<等々力短信 第957号 2005.11.25.> ― 2005/11/25 07:07
昭和31(1956)年10月、上智大学外国語学部フランス語科に在籍中の井上ひ さしさんは、浅草フランス座の文芸部員になった。 浅草フランス座はストリ ップ劇場だが、踊り子20数名、歌手数名、喜劇俳優を10名以上擁し、さらに 10人前後の専属楽団を抱えた3、4百席の堂々たる劇場で、踊り、歌、スケッ チ(コント)を、一時間半のショウと一時間内外の喜劇の二本立てに構成して上 演していた。 最大に露出しても乳房までが限界という高給の「ヌードさん」 は4人位しかいなくて、ハダカを見せるよりプロの踊り手の踊りを見せること、 そしてお客を笑わせて帰すことに重点があった。 ここは「日本人の品性が今 よりよほど高貴だった時代の大衆芸能の牙城だった」と、井上さんは『浅草フ ランス座の時間』(井上ひさし こまつ座編著・文春ネスコ)に書いている。
井上さんが入ってまもなく「渥美ちゃんが帰って来る」という噂が、出演者 はもちろん、観客を含めた小屋全体で、救世主を待つように飛び交い、暮も押 し詰まった頃、結核療養から快復した渥美清が戻ってきた。 渥美清が一人で 演る15分の舞台、それはもうお客さんが腹をかかえてころげ回るくらいワカ しにワカしていたものだという。 芝居も初日から4、5日たって決まってく ると、きょうは大河内伝次郎、次の日はエノケン、ロッパ、伴淳、森繁、夢声、 はては天皇陛下の物真似でやる。 それにからむ谷幹一、関敬六、長門勇とい った役者も喰うか喰われるかで対抗するから、メチャクチャにおかしかったら しい。 観客の前で汗と恥をかく「“狂”喜劇」の戦い、修業だ。
当時の喜劇役者は百万弗劇場やカジノ座のような小さな劇場に出て、「あいつ は、おもしろいぞ」と評判がたって初めて、フランス座から声がかかる。 そ れから日劇ミュージックホール、さらに日劇というふうに昇っていった。 井 上さんは、浅草フランス座は東大、新宿フランス座が早稲田、池袋フランス座 が立教、浅草ロック座が日大、日劇ミュージックホールは東大大学院で、日劇 はハーバードのビジネス・スクール、映画(テレビ)に出るのは大蔵省にキャリ アで入るようなものだという。 翌昭和32(1957)年10月、渥美清は浅草フラ ンス座をやめて、テレビの世界にデビューした。 私が渥美を初めて見た『若 い季節』、そして『夢であいましょう』。 渥美の活躍を、浅草で一緒に芝居を していた仲間も、お客たちも、自分のことのように嬉しがったという。 大リ ーグに行った野茂投手の活躍を、日本人みんなが気にかけていたように。
根津遊郭は「地獄」か「極楽」か ― 2005/11/25 07:09
「臆病源兵衛」では、根津遊郭は「地獄」と呼ばれる最下等の悪所という設 定だ。 志ん生の「お直し」では、吉原の羅生門河岸、鬼のような腕で引っ張 り込まれる場所として出てくる、悪所だ。 暗闇は怖いが、助平な源兵衛を、 おどかして笑おうという趣向を、八五郎が兄ィなるものと打ち合わせ、兄ィの 遠縁で24,5のぽっちゃりとして色白、一重瞼で、目尻がスッと上がっている娘 が、一度源兵衛と話がしたいと言っていると呼び出す。 夕暮れのこと、源兵 衛は暗いだの、誰もいないだの、ワァワァ言いながら、それでも八五郎につか まって兄ィの家にやって来る。
娘さんは用達に出たことにし、八五郎も買物に出たふりをして隠れている。 台所にこわごわ、それでも飲みたい酒を取りに来た源兵衛を、白い手拭をかぶ ってワッと驚かす。 驚いた源兵衛、恐怖のあまり一升徳利で八五郎の頭を叩 いてのばしてしまう。 てっきり八五郎が死んだと思った兄ィと源兵衛、兄ィ は八五郎の元結を解いてザンバラ髪にし、死という字を逆さに書いた三角の布 をおでこに張って、白い着物を着せて、つづらに入れ、源兵衛に捨てに行かせ る。 怖いけれど、自分が殺したのだから、仕方がない源兵衛、つづらを背負 って不忍池のあたりまで来たところで、仲の町で一杯やってきた酔っ払いと遭 遇、怖くなってつづらをおっぽり出して逃げる。 酔っ払いが、つづらを開け ると、白い着物で、頭はザンバラ、おでこに三角の布が、出てきたからびっく り、これも逃げ出す。 八五郎、目を覚まして、「死んじゃったよ、俺」、ここ はどこだと見渡せば、池がある。 てっきり血の池地獄だと、よく見ると、蓮 の花、「これは極楽だ」、蓮の葉の上に乗ろうとすると「何をいたしておる」の 声。 (その後、どうなったのか、ちょいと不明で、中略) 根津あたりで遊ん で、極楽が地獄にあるとは思わなかった、おや弁天さまだ、いやだよ死人(しび と)の格好で(とかいうのがはさまって)、落ちは「地獄に仏だ」だった。
最近のコメント