浄真寺の池・屋根・堀、そして日活2005/11/17 07:13

 浄真寺を見学するという話をしたら、家内の知り合いで少し年上の方が、昔 あそこには池があってボート遊びをした記憶があるのだけれど、どの辺だった のだろうかと言っていたという。 それで三仏堂の鍵を開けてくれた僧に訊く と、北側の現在墓地になっている地域のさらに北側、今は住宅地になっている 所にあったのだそうだ。 すると、周りでこの話を聞いていた人が、渋谷の東 急文化会館を作った時に、掘った土でその池を埋め立てたのだと言った。 す ると、埋め立ては戦後のことになる。

 今は銅板葺きになっている三仏堂の屋根だが、萱葺きだった記憶があって、 今の屋根を眺めると、いかにも萱葺きの形をなぞって銅板葺きをしたように見 える。 奥沢図書館にあった立派な『浄真寺 文化財綜合調査報告』(昭和61 年3月24日東京都世田谷区教育委員会発行・世田谷区立郷土資料館編集)とい う本を見ていたら、「浄真寺年表」の最後に「昭和42年(1967) 本堂・三仏堂 の萱葺を銅葺に改める」とあって、本堂も萱葺きだったことと、私の記憶の正 しかったことがわかった。 すると昭和31年に確かここでロケした石原裕次 郎と芦川いづみの日活映画『乳母車』(田坂具隆監督・石坂洋次郎原作)を見れ ば、九品仏の屋根は萱葺きのはずだ。

 この『浄真寺 文化財綜合調査報告』に奥沢城跡と思われる土塁を考古学的 にボーリング調査した報告があり、土塁に伴う遺物がなくて奥沢城跡の時期を 確定できなかったとあった。 北側土塁外側に墓地を造成した和田石材店の話 では、上幅5間(約9m)深さ2間(3.6m)ほどの薬研堀状の堀の存在も確認でき たという。 調査当時、南側土塁外側の道路を隔てた奥沢7-37-17の小林邸で 建築工事が行われていたが、その根切り断面には堀は検出されず道路部分で終 っていることが判明したことから、堀の幅は最大でも5間(約9m)とになると いう。 余談だが、この小林邸というのは、小林旭の家である。