志の輔の「宿屋の仇討」 ― 2007/12/01 08:00
志の輔は、一年に二度、落語研究会に出るようになって五年になる、という。 そして年に一度やっているのが、昇太と二人で行く海外旅行、最近もラス・ベ ガスに出かけた。 ロスでの乗り換え、審査の書類がむずかしくて、昇太だけ が引っかかった。 泊まるホテルか何かの書き直しを求められて、不満が顔に 出た。 その顔が、許可されない。 そういうことを承諾するから、日本は負 けた、なんて昇太がわからないことを言っている。 ともかくラス・ベガスの ホテルに着いた。 チェック・インをして、客室までの間に、カジノがある。 つまりカジノを通らなければ、部屋に行けない。 昇太がマシンに20弗札を 吸い込まて、ボタンを押すと、いきなりジャラジャラ出て来た。 ジャラジャ ラジャラジャラ、どんどん出て来る。 両替のボタンを押したのだった。 10 セントコインの箱を抱えて歩くことになる。 志の輔が一度やってみたかった 噛み煙草を買って、嗅ぎ煙草だったドタバタがあり、旅の恥は掻き捨て、旅に 出ると心のゆるみが出る、というところで「お泊りさんでは、ございませんか」 と「宿屋の仇討」になった。
「宿屋の仇討」、そこそこに聴かせたのだが、侍が番頭の伊八に繰り返し聞か せる例の「昨晩は大久保加賀守様の御城下、○○屋という間狭な宿に泊まりし 所、…」のセリフに、難点があった。 ちょっと照れくさいのか、滑舌の問題 か、早口で、口ごもる感じになる。 聴き取りづらいのだ。 手を叩いて伊八 を呼ぶ、このリフレインを、伊八も当夜の観客も憶えてしまうところが、この 噺の面白さの一つだけに、残念な気がした。
扇辰の「千早振る」 ― 2007/12/02 00:40
仲入後、入船亭扇辰が前座噺の「千早振る」を演るというのが、本日のお目 当ての一つだった。 「いよいよ白熱してまいりまして」と出て来て、落語は 勉強になるという私の意見に反して、「何の役にも立たない、生きる勇気が湧い てきたというようなことはない、せいぜい、人妻と浮気をしてウソをつかない ほうがいい、という程度(「宿屋の仇討」)」だと、知ったかぶりの話になる。 雑 学王というのは、ほとんど男性。 「ねぇ、知ってる?」 知っているという ことが大事で、知識のないのは恥。 女性は「ねぇ、聞いたー?」 聞いたか、 聞かないかが問題。 知識にプライドを感じない。 女は「知らないわよ、そ んなの」で済む。 女性を敵に回しているわけではないけれど。
扇辰の「千早振る」は、娘に業平の歌のわけを聞かれた男が、けっこう分か っていて((娘が)どっかに帰ってくれるといいんだが、ウチの子だからケーラ ない、嫁に行くまでずーっといる、という程度だが…)、ご隠居のほうが「いい 男が詠んだ有名な歌」を「何のまえぶれもなく、いきなり」聞くな、とおどお どしている。 歌を切れ切れに読んだり、大声や、小声で言ってみせたりする。 「竜田川」は相撲取で五年で立派な大関になり、千早大夫に振られた後は、国 許の親の豆腐屋へ帰り、五年で立派な豆腐屋になる、御念のいったことだ、と いうご存知の珍解釈が展開される。 落語の解釈のほうが有名なので、歌の意 味を田中優子さんの解説から、引いておく。 「不思議なことの多い大昔でも 聞いたことがない。竜田川は真紅のあざやかな色に水を染めているとは」。 落 語はやっぱり、勉強になる。
喜多八の「居残り左平次」 ― 2007/12/03 07:55
トリは柳家喜多八、出囃子が始まっても、なかなか出てこない。 いつもの ようにいやいや出てきて、「お互いに夏の疲れが抜けませんよ」、噺家というの はノーテンキな商売に見えるでしょうが、「飲む・打つ・買う」が必修科目、な かなか(金が)かかる。 「飲む」、早くシラフで徘徊できるようになりたい。 「打つ」、古新聞があれば出来る、新聞紙は縦に目があるので、ソーメンみたい に割く、それを引いて、どっかに必ず数字があるので、大きい奴が勝。 「買 う」、何で男が払うんでしょうかねえ、最初に払った奴がいけない。 最近の楽 屋は女の前座が増えた、お茶を入れてくれたりするだけでジジイは涙ぐんでい る、着物を畳んで畳紙に包むのに茣蓙を敷いてする、その茣蓙をかかえて楽屋 を歩いている、そういう風情が、被った手拭の端でもくわえさせたいよう。
「居残り左平次」、大ネタである。 居残りは、調子がよくて、パーッと明る くないといけない。 喜多八のガラだと、どうもそのへんのパーッとした明る さが出ないような気がした。 志ん朝の印象がまだ濃いのだ。 最後に一転し て、ワルの正体を現し、すごむところは、ガラに合いそうだけれど、もうひと つ凄みがないように思われた。
「反復」と「巨大な量」から宇宙をつかむ ― 2007/12/04 07:42
11月30日、三田キャンパスの北館ホールに小泉信三記念講座、鷲見(すみ) 洋一さんの講演を聴きに行った。 鷲見さんは同学年で、私が志木の高校で生 徒会をやっていた頃に、日吉の高校にいて、提携の活動をした縁があった。 世 の中にはずいぶん頭のいい男がいるものだと思っていたら、のちに文学部でフ ランス文学の教授になっていた。 今は名誉教授、中部大学教授でもある。 演 題は「収集、記憶、分類―フランス百科全書とその周辺」、慶應義塾のアートセ ンターの設立に関わり所長を務めた鷲見さんらしく、豊富な音や画像(動画も) を駆使した講演だった。
鷲見さんは、幼稚舎以来59年間を、慶應で過した。 私が会ったのと、い くらも違わない少年期、普通部の2年の頃に、読んで感銘を受けた二つの短編 小説が、生涯のテーマにつながったという。 菊池寛の「恩讐の彼方に」と、 コナン・ドイルの「赤毛倶楽部(赤毛連盟)」。 坊さんは21年間こつこつ耶馬溪に青の洞門を穿ち続け、赤毛男は、だまされて不思議に思いながら毎日大 英百科事典の筆写を続ける。 いったい何回鑿を打ったか、その時間の長さ、 そして筆写の巨大な徒労が、一番、心に残り、面白かった、と。 「反復」と 「巨大量」が、ここでの眼目だ。
鷲見さんのご両親は音楽家で、子供の頃からずっと、父親が毎日ヴァイオリ ンをさらっているのを聞いて育った。 職人芸のようなものでは、毎日の修練 が、やがて大きなものに、巨大な世界、宇宙に行く、その前段の修業なのだと いうことが、子供心にわかったという。 ここで鷲見さんは、バッハの「シャ コンヌ」をメニューインのヴァイオリン独奏で聴かせた。 「反復」と、そこ から得られる「巨大な世界」(宇宙)が、この音楽にはある、と。
講演のテーマは、巨大な量や構築が可能にしてくれる「世界図絵」(鷲見さん の造語らしい)であった。
『百科全書』とは ― 2007/12/05 07:26
『百科全書』の話を聴きに行ったのに、『百科全書』について何も知らない。 『広辞苑』を見る。 「1751~72年フランスで、ディドロ及びダランベール 監修のもとに刊行された大百科全書。17巻、図版11巻、補遺5巻(77年刊)。 啓蒙思想ないし自然科学・産業技術の普及、特にフランス革命の思想的準備に 大きな役割を果し、その後の百科全書の手本ともなった。」 別に「百科全書家」 という項目があり、「百科全書の編纂に従事し或はこれに協力した18世紀の思 想家・学者。ディドロ・ダランベールを始めエルヴェシウス・グリム・チュル ゴー・ドルバック・マルモンテル・モンテスキュー・ヴォルテール・ルソー・ ケネーらを指す。その立場は主として合理主義的・懐疑論的・感覚論的・唯物 論的。」とあった。
鷲見さんは「フランス革命の思想的準備に大きな役割を果し」に、異論を唱 えた。 予約購読制で売られた『百科全書』の900リーヴルという価格は、賃 金で比較して現在の数百万円にあたり、ほとんどの人が読めない値段だった。 読めたのは、ほんの上澄みの貴族、聖職者、ごく一部のブルジョワジーだけだ った、というのだ。
そして『百科全書』の社会的特質を挙げた。 まず「在野の企画」。 民間企 業とディドロ、ダランベールのような在野の知識人による出版企画で、出版事 業としては新しい年俸制を採用した。 時まさにアマチュアによるディレッタ ンティズムの全盛時代だった。 当時「真理」の独占・管理は、教会とソルボ ンヌの神学部の役割だったので、フランス国家は宗教界への顧慮から微妙なス タンスを取った。 発禁にしておいて、(国家の威信にも関わる事業なので)地 下で出版を準備させたのだ。 『百科全書』は商業的に成功し、後続しておび ただしい類似の出版物が出される。
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