石田あき子句集『見舞籠』 ― 2008/09/26 05:40
退院後の石田波郷は、俳句の仕事に没頭し、昭和28(1953)年4月「鶴」 を復刊、翌年41歳で『定本石田波郷全句集』(創元社)刊、それで翌年読売文 学賞を受賞。 選句などの仕事が舞い込むようになり、昭和34(1959)年5 月「朝日俳壇」の選者となる(高浜虚子一人だったのを、星野立子、中村草田 男と共に引き継ぐ)。 妻あき子、5、6年前から俳句をつくっていて、「鶴」に 投稿、入選したこともある、と告白。
楡の花夫に寧き日いつまでも あき子
夫よ病むな朴の広葉は噴かずとも 同
しかし、昭和40(1965)年波郷が呼吸困難で倒れる。 低肺という状態で、 肺活量は1000ccだった。 あき子も、過労から狭心症になり、波郷の見舞い もままならなくなった。
見舞はねば夢に来る夫星祭 あき子
ジンジヤの香夢覚めて妻在らざりき 波郷
十日夫を見舞はざりせば
ひとに託す夫恋に似し寒椿 あき子
妻の来る予感外れて秋の風 波郷
昭和44(1969)年2月、あき子は医師から波郷の病状についての最後通告 を受ける。 波郷はあき子の句集の出版を言い出し、今まで看病してくれたお 前への贈り物だと、最後の力を振り絞って一人で編集にあたる。 11月20日、 原稿の最終チェック完了、あとがきを書くばかりだったが、翌朝亡くなってい た。 56歳だった。 装丁まで波郷が指示したあき子の句集は『見舞籠』。
枯野見る背(せな)に夫を感じつつ あき子
枇杷啜る妻を見てをり共に生きん 波郷
波郷の死後、あき子は六年を生き、波郷の命日と同じ日にこの世を去った。
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