幕末の英仏米事情 ― 2009/01/03 08:25
「なぜ当時日本は列強の餌食にならなかったのか」という質問に対する答え として、1日に書いたことを、少し広く詳しく見ている文章が、石井孝さんの 『明治維新の舞台裏 第二版』(岩波新書)の「おわりに」にあった。
「明治維新の政局が相対的に自主的な展開をとげたのは、まずさきにあげた イギリスの対日政策によるところが大きいと思う。当時、「世界の工場」を誇っ たイギリスは、自由貿易主義を貫徹することによって、もっぱら商品の力で世 界を支配するのを理想とした。そして産業資本の利潤を減らすことになる軍事 費や植民地経営費は、できるだけ削減する方針がとられた。このようなイギリ スの世界政策がもっともよく展開されたのは、1860年代の後半から70年代の 前半である。その時期はあたかも、明治維新の動きがクライマックスに重なる ことに注目しておきたい。このほか、東アジアにおける資本主義列強の圧力は、 市場価値の大きい中国に集中され、市場価値においては中国の比ではないとみ られた日本では、中国にくらべて外圧が緩和されていたという事情も考えなけ ればならない。」
公使のロッシュが幕府側に肩入れしていたフランスは、どうか。 幕末の重 要な時期、外務大臣が交代し、ロッシュの幕府支持政策を否認し、対英協調に 政策を百八十度転換した。 それには次のような原因があった。 メキシコ干 渉に失敗し、ルクセンブルグ併合の野心は、プロシャの反対によって挫折する というように、外交的失敗が続き、プロシャとの戦争(明治3(1870)年~4 (1871)年)の機運も熟していた。 国内的にも第二帝政が下り坂に向ってい た。
アメリカは、南北戦争の時期に重なっていた。 リンカーン大統領が奴隷解 放を宣言したのは文久3(1863)年、大統領に再選されたのが元治元(1864) 年、暗殺されたのは慶應元(1865)年のことだった。
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