『星新一』の土地勘 ― 2009/01/17 06:48
品川の中延に育ち、星製薬は身近な存在だった、と書いた。 私が生れて、 結婚しても半年ほどいた家は、品川区東中延、ほとんど第二京浜国道沿いとい ってよい所にあった。 第二京浜を五反田の方へ進むと、東急池上線の戸越銀 座駅からの商店街と交差した少し先の左側、石垣の上に星新一さんの家があり、 桐ヶ谷の坂を上って下り中原街道とぶつかった先に、今はTOC東京卸売セン ターになっている星製薬があった。 中原街道を旗の台方面へ戻ると、右側に 星薬科大学や星講堂のドームも見える。 星新一さんの家から戸越銀座駅をは さんで、ちょうど反対側に当たる。
最相葉月さんの『星新一 一〇〇一話をつくった人』に、星新一さんが昭和 24年9月から25年7月まで毎週日曜日にルーテル教会に通ったことが日記か ら判明しているとある。 23、4歳の頃である。 星さんが通ったルーテル教 会がそれかどうかはわからないが、第二京浜国道沿いの桐ヶ谷の坂の上にルー テル教会があって、私は明治学院の中学に入った昭和29年から一、二年、毎 週日曜日に通っていた。 自転車で星さんの家の前を通り、坂を上った。 私 が知っている頃はもうなかったが、坂の上のあたりには昔、池上線の桐ヶ谷と いう駅があったと聞いていた。 地図を見ると坂の上の第二京浜と交差する通 りは、左に行くと桐ヶ谷斎場へ行く桐ヶ谷通り、右は百反通りである。 昭和 27年の日本の独立による接収解除後だと思うが、星講堂でボクシングの試合を 観たこともある。
星新一さんが亡くなった高輪の東京船員保険病院(現・せんぽ東京高輪病院) では、高校受験用の身体検査を受けた。 という訳で、『星新一』に出てくる、 自由が丘(188頁)、五反田(192頁)、洗足池(200頁)、大井町(203頁)、 大崎(205頁)、洗足(267頁)、九品仏(512頁)は、みんな身近な地名であ る。
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