遠藤盛遠と源渡の妻・袈裟御前 ― 2010/10/24 06:22
『宿神』「文覚発心」、三月半ば渡辺津で淀川に架かる新しい橋、渡辺橋の完 成の儀式、橋供養があり、周辺の警護を任されていた遠藤盛遠は、美しい女を 見初める。 源渡(みなもとのわたる)の妻、袈裟御前。 袈裟の母は、奥州 の衣川に行っていたことから、衣川殿と呼ばれ、盛遠にとっては父方のおばに あたった。 衣川の娘だから袈裟と呼ばれるようになった女の顔を、初めて見 た盛遠は、その夜、眠れなかった。 およそ、天下に美女と呼ばれる女たちが 持つもので、この袈裟に欠けているものはひとつもなかった。 器量だけでは ない。 その心持ちも情け深く、もののあはれもわかり、仏への信仰もまたあ つかった。
袈裟のことが、盛遠の頭から離れなくなった。 遠藤盛遠という漢(おとこ) の特質は、その熱量にあった。 九月、盛遠は衣川の家に忍び込み、刀の切先 をおばの喉に押し当て、「袈裟殿とただの一夜でよい。添わせてほしいのじゃ」 と頼み込み、聞かねばおば殿を殺して自分も死ぬと言い、「明日の夜」と約束さ せる。 衣川は袈裟を呼んで、自分を殺すように言うが、訳を聞いた袈裟は、 盛遠と一夜を共にすることにして、母を押し切る。
「ひとたび契ってしまった今となっては、袈裟よ、ぬしをもうどこへもやり とうはなくなってしまった」
「なれば――わが夫、渡を殺していただけましょうか」
その夜、袈裟の手引通り源渡の屋敷に忍び込んだ盛遠は、渡を殺すつもりで、 袈裟の計略にのり、誤って袈裟の首を切ってしまう。
六日目の夜、渡の屋敷に殺されに来た盛遠に、渡は言う。 「おれは、貴様 を楽になぞしてやらぬ」「去って、生きよ」と。
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