フランスやイギリス、強固な階層社会 ― 2012/11/01 06:35
内田樹さんは、日ごろ社会や政治の問題についても、いろいろ発言をしてい る。 言語についての『街場の文体論』にも、ところどころに顔を出し、面白 い見方や鋭い意見がある。
例えば、階層社会に対する見方(第7講)。 フランスも、イギリスも、強 固に構築された階層社会だという話だ。 階層社会というのは、単に権力や財 貨や情報や文化資本の分配に階層的な格差があるというだけでなく、階層的に ふるまうことを強いる標準化圧力そのものに格差がある社会だという。 こん なことは、まったく知らなかった。
階層上位の人は、その階層的な縛りから自由で、社会的にも流動的でありう る。 それでワーキングクラスのファッションや音楽も楽しむことができるし、 外国にも出かけることができる。 政治体制が違う、宗教が違う、食文化が違 うというところに行っても、そこの人たちと気楽に対話できる。 つまり自由 に異文化を行き来できる。 下層の人はそれができない。 誰と会っても、ど こに行っても、自分の街にいるときと同じ言葉づかいで、同じようなふるまい をしてしまう。 型にきつくはまりすぎて、もう脱げないのだ。 この他者と 応接するときの自由度の差が、社会的に成功するチャンスに有意な差をつける、 というのだ。
下層に行けば行くほど、階層的な締め付けが厳しくなり、自由度はどんどん 少なくなる。 それ以外のふるまい方ができないようにお互いに監視し、逸脱 するときびしい罰が加えられる。 下層階級なのにクラシック音楽を聴いたり、 詩を読んだり、「趣味はクリケット観戦」とかいうことは許されない。 ラップ を聴いて、サッカー観戦することを強いられる。 他の誰でもなく、自分たち の属する集団から禁圧される。 そして、本人たちはそんなふうに自由度を制 約し合っていることに気がついていない。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。