朝香宮允子妃のファッション ― 2015/05/01 06:39
允子(のぶこ)妃のパリについても見ておく。 パリ着は自動車事故から二 か月がたっていて、鳩彦王と姉の北白川房子妃の容態も落ち着いていたのだろ う、三日後からショッピングが始まっている。 毛皮専門店マックスで銀ギツ ネ6000フラン、オペラ座近くのオーギュスティーヌ&アンドレで帽子3個900 フラン、マドレーヌ寺院近くのピネ靴店で靴2足355フランを購入した。 衣 服は、当時の有名店シャンゼリゼ大通りのジェニーで、モロッコ革のジャケッ ト付き衣服1900フランを始めとして、ワンピースやコート、小物も含め15点 2万4800フランを購入している。 2万4800フランは約3435円、当時の大 卒男子の初任給は70円だったから、允子妃の一回のドレスの購入費は、その 49か月分、つまり4年と1か月分に相当する。 御附きの富岡夫人もマックス で毛皮6000フラン、侍女の杉岡夫人もルーブル百貨店で525フランの洋服を 購入している。 青木淳子さんは、允子妃は明治天皇第8皇女、それなりの「装 い」が必要で、御附きの者の衣服も恥ずかしくないようなものが調えられたと 言い、朝香宮一行は、まず「身なり」を整えることから、パリになじんでいっ た、と考えている。
ジェニーのほかに、ランヴァンや、近代の高級洋品店として名高いウォルト でもドレスを購入している。 緑色のジョーゼット製ケープとドレス2500フ ラン、黒色のクレープサテン製ドレス2800フラン、モーヴ(薄紫)色の刺繍 入りドレス2300フランをつくった。 この時の緑色のドレスを着用している と思われる映像と写真が現存している。 パリの銀行家アルベール・カーン邸 を訪問した折のものが、「アルベール・カーン博物館」に所蔵されているという。 私はジョーゼットから、先日観た映画『マジック・イン・ムーンライト』でエ マ・ストーンが着ていた1920年代のドレスを思い浮かべた。
普段着やハンカチ、傘、下着や靴下などの小物雑貨類は、昨日書いた「御手 許(てもと)金」によって、デパートなどで購入されている。 ルーブル、プ ランタン、ル・ボン・マルシェ、ギャルリー・ラファイエットなどの百貨店だ。 日本では街中で現金で買物をすることなどできなかった允子妃にとって、自身 でお金を払って自由に買物ができる百貨店は、パリの「朝伯爵夫人」だからこ そ味わうことができた「愉しい」空間だった。
パリで一流とされたハイブランドのクチュリエでドレスを誂え、毛皮のコー トや帽子、靴を購入する一方、スポーツ用のニットやカジュアルなツイードの スーツ、普段着や下着などの小物は、リーズナブルな百貨店で購入した。 適 材適所の店の選択という合理的な考え方での消費行動である。 到着直後に購 入した帽子は「シャポー」、バラやレース飾りの付いたつば(ブリム)広の華麗 なものだったが、パリ生活が長くなるにつれ、シンプルで飾りが少なく、つば の短い釣鐘形の「クロシェ」を買うようになってくる。 ドレスやセーターの 色も、ローズや緑から、徐々に黒、白、ブルー、ベージュといった「シック」 なものが多く選ばれるようになる。 1920年代には、のちにアール・デコと呼 ばれる直線的でシンプルなデザインが一つの様式を作ったが、允子妃も、その 時代の風潮を吸収して、ファッションに取り込んでいることが、領収書から読 み取れるそうだ。
允子妃は、到着2か月後あたりから、徐々に英語、フランス語、絵画、そし てダンスの先生について、レッスンを受けている。 それぞれ月に1000フラ ン、仏語は外出の介添えもしたのか3000フランが支払われている。 日本に いる時から絵画が趣味だったが、今もある文房具店デュプレや、スネリエール で絵の道具を購入し、イヴァン=レオン=アレクサンドル・ブランシュに水彩画 を習った。 ブランシュはロシア系の芸術家で、彼は夫妻が帰国後に建築した 白金の朝香宮邸のレリーフを担当し、東京都庭園美術館に残る允子妃の肖像画 を描いている。 従来、なぜ当時、有名でなかったブランシュが朝香宮邸建築 に関わったのかは謎だったが、この水彩画レッスンの領収書から、彼と朝香宮 家の最初の関わりが判明したのだった。
夫妻は滞在中、しばしばオペラや演劇を鑑賞している。 1924(大正13) 年6月10日、オペラ座でフョードル・シャリアピンの「ボリス・ゴドノフ」 を観ている。 当時ロシアからパリに亡命したシャリアピンの十八番の演目だ った。 帝国ホテルのシャリアピン・ステーキのシャリアピンである。
林家たけ平の「紙屑屋」 ― 2015/05/02 06:37
4月30日は、第562回の落語研究会、新年度スタートの会だった。
「紙屑屋」 林家 たけ平
「ちりとてちん」 橘家 文左衛門
「お血脈」 桂 文治
仲入
「代書屋」 五街道 雲助
「黄金餅」 柳亭 市馬
たけ平、前に「紙入れ」と「大師の杵」を聴いたことがあった。 稽古に踊 りなどをやるが、講釈もやる。 落語の差しの稽古で、止めて、教えてくれる のと違って、止めるだけで、教えてくれない。 自分で考えろ、という。 元 亀3年10月14日とやったら、止められた。 抑揚かと思って、抑揚を変えて やると、また止められた。 訊けば、14日でなく15日だった。
学校寄席で、「若旦那」がわからない。 遊びが過ぎ、勘当されて、居候にな る。 そこらから噺の方の幕が開く。 「ワカダンナ!」 「ヘーーエ」 呼 んだのか。 用がある。 急ぎなのか。 お前が上って来た方が早い。 ふん じつ物なんだ。 何がなくなった? フンドシ、いくら探してもない。 よく 探して。 ありました、掛軸にかかっていた。 汚いね。
コンニチハ、顔を洗いてえ。 台所も、お前のかみさんも汚い。 吉原だと、 花魁が総楊枝を渡してくれて、背中に身体を浴びせ倒して来る。 花魁のおっ ぱいが、とんとんと…、ちちよあなたはつよかった。 桶に水汲んでくれて、 さわらぬ桶にたたりなし、お前んとこはバケツだよ。 顔を洗って、手拭で拭 かない、外へ顔を出すと、風と共に去りぬ。
表へ出て、働こうって気になりませんか。 奉公口があるのか。 隣町の紙 屑屋。 二枚目丹次郎だぞ、誰に向かって言っているんだ。 屑を選り分ける 仕事で、珊瑚の五分玉、ダイヤモンドの指輪、金貨銀貨、よれよれになったお 札なんかが出てくることもある。 お前んとこは、かみさんがよくない、若旦 那と言わずに、居候さんと言う。 だから町内で、イソちゃんと呼ぶ。 隣町 で奉公した方がいい。 手紙を書きましょう。
大熊(だいくま、大工の熊)んとこからですか、あなたがイソちゃんで。 字 は読めますか、書けますか。 読める、書ける。 ウチは、紙屑に目を通され ると困る、無学文盲を頼んどいたんだ、そう見えるんだけれど。 臭いは、す ぐ慣れる。 白い紙は白紙、黒い紙はカラス、煙草の箱は線香紙、みかんの皮 は陳皮といって七味唐辛子や漢方薬になる、ご婦人の髪の毛は人形の頭になる。 こうやって選り分ける、白紙は白紙、カラスはカラス、線香紙は線香紙、陳皮 は陳皮、毛は毛、と。 うまいね、商売人みたいだ。 商売人だよ、さっそく、 やってもらいましょう。
歌舞伎座、紙屑屋の場。 チン、チリ、チ。 紙屑屋! 色っぽくないね。 白紙は白紙、カラスはカラス、さっそく珊瑚の五分玉…、梅干の種だった。 手 紙が出たよ、「一筆シメジ参らせ候、湯島なるニンジン様にトウガンをかけ、(中 略)私はお前にホウレンソウ、遠藤豆太夫様、タケノコより」
『風流どどいつ集』だ、「♪まるめて投げた紙屑籠は浮気の虫の捨て所」か。
『謎かけ傑作撰』か、五月とかけて、ここ一番と解く、心はショウブ、ショ ウブ。 モーゼの飲む酒は、何? 水割り。 ビールを熱くすると、何? か んビール。 朝飯で食べられないもの二つ? 昼飯と夕食。
ハーモニカが出てきた。 入れ歯だよ。 『新内の稽古本』だ。 花井お梅、 行く水の向うへチラチラ小提灯…、峯吉の脇腹を刺し通す。 姐さん、やりや がったな!!
あなた、何をやったんです? この通り、屑を選り違えました。 たけ平の「紙屑屋」、なかなかのものだった。
橘家文左衛門の「ちりとてちん」 ― 2015/05/03 06:46
文左衛門、黒紋付きに、鼠色の袴、派手なオレンジ色の襦袢がのぞく。 お 客さんに、割烹、小料理屋、白木のカウンターのいい家に連れて行ってもらっ た。 秋田の地酒が出て、珍しいものがあるという。 生きた白魚、5,6匹。 ぽん酢に踊る。 可哀想。 食べるのに気合いが要る。 口の中で動く。 ど うしたら、いいか。 噛んだら、可哀想。 考えている内に、お酢に、むせた。 口を閉じているから、鼻ん中に入った。 地獄だ、動いている、涙がぼろぼろ。 お客さんが、片方の鼻を押えて、フンとやれ、と言う。 ようやく頭が出た。 引っ張り出したら、ぐったり、白魚さんが…。 食べ物には、気を付けて下さ い。
お清や、ずいぶん料理が残っている、お向こうの六さん、お世辞上手だから、 と呼びにやる。 六さんが、しばらくです、と来る。 今朝、湯で会った。 そ の前は、しばらく。 昨日は、床屋で会った。 お願いがある、碁の会をやる 予定で仕出し屋から料理を取ったが、誰も来なくて取りやめになった、手伝っ て食べてくれないか。 一年、いつでも、引き受けます。 お酒は灘の生一本。 灘の生一本というものがあるとは聞いていたけれど、飲むのは初めて。 旨い。 まだ飲んでない。 注ぐと、ふくらむのは、旨い酒。 ワーーッ、旨い。 鯛 のお刺身というものがあるとは聞いていたけれど、食べるのは初めて。 美味 しい。 まだ食べてない。 見れば、わかる。 鯛のお刺身、美味しい、涙が 出る。 わさびに当ったんだろう。 鰻の蒲焼、蒲ちゃん、口の中で溶けちゃ った。
お清や、私も飲みたくなった、燗しておくれ。 何かあっさりしたものがい いな、豆腐があったら奴に切って。 あります、前のが。 半月も前だろう、 戸棚の奥にあった、大丈夫かな。 何これ、いろんな色になって、毛羽立って いる、殺す気か、私を。 ちょっと待て、無駄じゃない、薬研掘、七味唐辛子 を一杯かける。 すごい臭いだね。 六さん、お前に食べさせようってんじゃ ないよ。 空き瓶あるか。
寅さん、呼んで来ておくれ。 何でもケチつける人、さからう人、何でも知 ったかぶりをする。 いつか、ギャフンという目に合わせたかった。 六さん は次の間で待っていておくれ。 すまないね、寅さん。 用事って、何。 お 願いがある、碁の会をやる予定で仕出し屋から料理を取ったが、誰も来なくて 取りやめになった、手伝って食べてくれないか。 残飯整理ってこと。 そん な悪いもんじゃない。 さっき、飯食ったばかり。 それじゃあ、お引き取り 下さい。 何、困ってんでしょ、人助けだよ、揺らせば入るよ。 酒は灘の生 一本、蔵出しだ。 どうせ偽モンだろ、水で薄めて、ほとんど水の。 まあま あだな。 料理もやっとくれ。 素人が喜びそうなものばかり、腐っても鯛と いうからな、刺身だったらマグロだろう。 食べますよ、人助け、人助け。 あ りはありかな。 鰻の蒲焼。 どうせ養殖だろ、わたしなんていつも天然だね、 人助け、人助け。 可もなく不可もなくだな。
寅さん、食通だから知っているかな、珍しい物、台湾のお土産にもらったん だけど、「ちりとてちん」知ってるかい? 知ってるよ「ちりとてちん」、台湾 にいる時、朝晩やっていた。 臭いがきつくてね、食べ方がわからない、食べ てみせておくれ。 はいはい、懐かしいな、頂いて行って、ウチで食べる。 本 当は知らないんじゃないのかい? 食べます、食べます。 目がピリッとする、 目ピリ、これが江戸前だ。 台湾じゃないのかい。 食べ方は、鼻を押えて、 目もつむっていたほうがいい。 (口に入れ)アッ、アッ、ヒーッ、ヒーッ、 (と、真っ赤になって蛸踊りを始める)ワッ、ワッ、(と、戻しそうになり、の けぞって、ひっくりかえりそうになり、茶碗を差し出す。) 一緒に写真撮って くれってのか、何、何、酒か。(茶碗の酒で、ようやく飲み下す) フハハハ、 ああ、うまかった。 どんな味がした? 豆腐の腐ったような味。
橘家文左衛門の「ちりとてちん」、もう一つ入り込めなかった。
桂文治の「お血脈」前半 ― 2015/05/04 06:47
私以外は落語協会だから、楽屋でいじめがひどい、雲助は足袋隠すし、前座 はお茶を淹れてくれない。 落語のいいのは、女性を褒めたところだ。 寄席 も女性がいた方がいい。 男性ばかりだと、刑務所の慰問に行ったようになる。 お釈迦様は、女性を「外面(げめん)似菩薩内心如夜叉(にょやしゃ)」と言っ た。 苦情があったら、インドの方へ。 「落語の好きな人は、其の伝にあら ず」とも言った。 落語研究会、ついでで来るような所じゃない。 前が皇居 で、後ろが最高裁判所。
お釈迦様、マーヤ夫人のお腹の中に、3年3月と99日入っていて、4月8日 ピョイと生れ、7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と駄法螺を吹いた。 将来は、 暴走族か、噺家になるだろう、と言われた。 お釈迦様が阿弥陀様と、スター バックスでカプチーノかなんか飲みながら、布教の相談をした。 イトウヨー カ堂のカミソリがいい、どうも西友とはソリが合わない。 新桜台から保谷(ホ ーヤ)に越したんだけれど、駅ビルの狭い所に自転車が並んでいて、自転車の ハンドルに袖が引っ掛かる。 西武線もセコイ、電車に冷暖房を入れてくんな い、全部弱冷房車、保谷ぐらいまで行ってようやく効いて来る、暖ったかくな いんだもん。 経費を抑えようとする、セーブ線。 お釈迦様がジャリジャリ 剃ると、阿弥陀様の涙が出た、釈迦剃(ぞ)りだ。
朝の8時に、ピンポンと鳴らして、「教会へ来て下さい」と言う。 私は、 落語芸術協会。 鯉昇兄さん、瓦を取り替えませんかという電話を、一時間ぐ らい聞いて、最後に、ウチはマンションなんです。 私は新聞を、朝日と読売、 交互に取る。 ビール券とトイレットペーパー買わなくていい、交互に持って 来る。 こないだは、浅草演芸ホールの招待券だった。
昔、インドのことを南天竺と言った。 そこから渡来した仏教を排斥した物 部守屋に、聖徳太子が勝って、仏教を入れた。 私の落語はレベルが高い。 腐 った豆腐を食うのとは、訳が違う。 神の国というのは、森さんが言ったんじ ゃない。 柳昇師匠は、森さんと親しかった。 小渕父娘のことは、悪く言え ない。 国立演芸場に地元の後援会の人を沢山連れて来てくれた。 明治座に 行ったのが間違いだった。 優子さんは、許せる。 許せないのは、松島みど り。 服を脱いだ「ねずみ男」みたいな顔をして…。 釧路に永住すればいい。 シツゲンが多い。
桂文治の「お血脈」後半 ― 2015/05/05 06:43
物部守屋が、仏像をつぶせ、白金をつぶせ、プラチナ奴ってんで、簀巻きに して、難波ヶ池(今の阿弥陀ヶ池)に、放り込んだ。 本田善光が和光寺のほ とりを歩いていると、池の中から光るものが見えた。 怖かった。 昔、寄席 は夜席だけ、昼は芝居をやっていた。 燭台に百目蝋燭、最後の噺家が火の始 末をする、蝋燭の芯を打つところで芯打、真打はここから来ている。 学校口 演が増えた。 千人の内、大人になって一人、二人でもいいから、寄席に帰っ て来てもらいたい。 ウミガメ(鮭?)の養殖と同じ。 大衆芸能と呼ばれて いたが、電気ができて、デントウ芸能になった。
「ヨシミツ、シンシュウへ行きたい」と言われて、善光が一寸八分を背に負 った。 一寸八分を背に負うか、講談は本気で言う、針小棒大。 神田山陽先 生と、きれいなお姐さんたち、歳をごまかす人もいる、冠二郎と同じ。 若い 頃、立体講談というのを手伝った、紅姐さんが幽霊になって出る、真っ暗にし た絶頂をクライマックスという。 お面の裏に突起があって、それを噛む。 前 に誰が噛んだか、分からない。 懐中電灯を手に、客席に出るから、場内騒然。 あれから三十年、お姐さん、お面なしでやっていた。 時の流れを感じた。
講談だと、寄せる軍勢一万五千を、三度に分ける。 サンプルをやれば、ど っと五千、どっと五千、また五千の軍勢が怒濤のように押し寄せる。 右手、 敵から見れば左手を振り上げて、スパッと斬ったが……。 あとは、また明日、 となる。
夜になると一寸八分の仏様が、たちまち丈余の姿に変じた。 円丈師匠の「丈」、 あの歯が異常にせり出した、楽屋では狛犬の研究などで静かにしているのに、 高座に出ると「キーーー、オンギャバー」となる、二重人格。 たちまち丈余 に変じた、夜中に大きくなるのは、いやな物体。 この続きは、また明日。 と、 言いたいところだが、これは落語。
そうして出来た善光寺で、百疋、三万円を出すと、錦の袋に入ったお血脈の 御印を、押してくれて、極楽往生が出来る。 みんな極楽へ行く者ばかり。 困 ったのが地獄、財政政策に失敗して、地獄会議。 ミゾユウのことであると言 った閻魔大王庁の総理大臣が、今は副総理兼財務大臣。 「お血脈の御印を盗 み出せ」となって、見る目嗅ぐ鼻に適当な人材を探させる。 袴垂保輔、熊坂 長範、鼠小僧次郎吉、石川五右衛門…。 石川五右衛門がいいだろう。 五右 衛門、釜の中で手拭を頭にのせ、歌を歌っていた、アッタカインダカラ…。 こ うみえて、48になります。 所属の落語芸術協会も公益社団法人になった。
石川五右衛門、六法踏みながら長野にやって来て、伊賀流の忍術で、善光寺 へ忍び込む。 だが、お血脈の御印がなかなか見つからない。 後ろの違い棚 に、桐の箱に入ったお血脈の御印を発見。 芝居っ気のある五右衛門、「有難て え、かったじけねえ」と、お血脈の御印を押し頂いたから、たまらない、極楽 へ行ってしまった。
文治の「お血脈」、こうして書くと、うまく伝わらないが、笑った、笑った。 文脈などはどうでもいい、間の魔術。 文治に、“地噺”がよく似合うのは、伸 治が長かった十代目文治師匠譲りなのだろう。 十代目の「源平」や「やかん」 は忘れられない。 “地噺”というのは「主に地の文で展開される噺」。 小人 閑居日記もレベルが高い。
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