『福澤諭吉事典』の刊行成る2010/12/27 07:04

 25日のクリスマス、昼寝をしていたら、福沢先生に起された。 『福澤諭吉 事典』“An Encyclopedia of Yukichi Fukuzawa”が届いたのである。 福沢生 誕175年の年内発刊を目指して、ご努力ご苦労を重ねられた編集委員会を始め とする関係の皆様に、敬意と感謝を表したい。 さっそく、パラパラと見てい たら、岩崎弥太郎、岩崎弥之助、そして三菱商会が出て来た。 「岩崎弥太郎」 「岩崎弥之助」は、人物項目である第II章(福沢をめぐる)『人びと』に、「三 菱商会」は事項項目である第I章(福沢の)『生涯』5建置経営(3)理財と実 業に、独立の項目が立っている。

 「岩崎弥太郎」(部分)…誕生日は福沢諭吉の一日前。名は敏(のち寛)、字 は好古(どこかで聞いた事のある名だ)、号は東山。幼時より学問に秀で、江戸 の安積艮斎(あさかごんさい)、吉田東洋の塾などに学ぶ。藩営商会開成館の長 崎貿易で徐々に頭角を現し、艦船、武器弾薬の買い付けなどを担当、その功績 から上士となった。明治2(1869)年開成館大阪出張所に転じ、土佐藩権少参 事。翌年藩営の汽船運輸事業を九十九(つくも)商会として分離、それが5年 三川(みつかわ)商会として岩崎の私商社となり、さらに6年三菱商会、8年 郵便汽船三菱会社となった。  本拠を東京に移した7年、弥太郎は人材不足を補うため、従弟で慶応義塾出 身の豊川良平の紹介により同じく義塾出身の荘田平五郎を三菱に採用、関心を 抱いた福沢は三菱をひそかに視察し、社風に好感を持ったという。義塾からは 山本達雄や朝吹英二らの入社も続いた。

 「三菱商会」(部分)…明治6(1873)年に東京―大阪間と神戸―高知、博多 間を定期航路として発足させた海運会社。翌年には東京へ本社を移転、同時期 に三菱は政府から日本国郵便蒸気船の経営を任されたこともあって、国内の海 運事業に本格的に着手していた。福沢諭吉は三菱の総帥である岩崎弥太郎から 人材を求められ、門下生の荘田平五郎を紹介し、8年に三菱商会に入社させて いる。荘田は岩崎のもとで三菱会社社則を新たに制定、社内を運用課、会計課、 初期課(?)、監督課の四課に改編するなどの改革を行っていった。(「初期課」 を調べたが、判らなかった。荘田平五郎については、この日記の2006.12.16. 荘 田平五郎の人物、慶應から三菱へ、17. 荘田平五郎と三菱の経営近代化、参照)

 第V章(福沢の)『ことば』8処世には、「岩崎弥太郎は海の船士を作り、福沢諭吉は陸の学士を作る」という「ことば」もあった。 明治12年2月10日 付井上馨宛書簡で、財政難の慶應義塾の維持資金の借用を政府に求めて、三菱 会社の商船学校には政府の補助金が無償で提供されている例をあげ、「海の船士 と陸の学士と、固(もと)より軽重あるべからず」と書いた。