野口米次郎の詩から2010/12/24 07:58

 野口米次郎は、どんな詩を書いたのか。 初めに略歴を調べるのに参照した、 角川文庫『現代詩人全集』第二巻近代IIから、引いてみる。

 「私は太陽を崇拝する」という詩には、こんな部分がある。

私は女を禮拝する……

恋愛のためでなく、恋愛の追憶のために。

恋愛は枯れるであらうが、追憶は永遠に青い

私は追憶の泉から、春の歓喜を汲むであらう

 「一提案」(部分)

百尺竿頭一歩を進むといふ言葉がありますが、

 詩の妙諦もそこですよ、

    (中略)

私の詩は(かう申すと大袈裟に聞えませうが)

諸君が到着した所から踏みだして、

人間性の傾向と霊の可能に向つて、

一生面を開拓しようとする努力にあります。

諸君の詩は諸君が歩く道程の説明として有益でありませうが 、

私の詩は私が建築する新しい世界の報告に止まります。

    (中略)

私も人間として私の存在の原子(エレメント)にかへるといふことを尊重しますが、

それは軈(やが)ては上昇するといふ上に於てのみ是認されます。

詩人が自分の生活と自然の環境を説明するに止まつたならば、

彼は月給で働く一書記に過ぎないではありませんか。

脚注のようなもの。 「百尺竿頭一歩を進む」…すでに工夫を尽くした上に さらに向上の工夫を加える。また、十分に言葉を尽くした後にさらに進めて説 く。(『広辞苑』)  「私の存在の原子(エレメント)にかへる」…偶然、「是にて自分も元素に復 して死するを得」という、幸徳秋水が最期に面会した堺枯川に語った言葉が帯 にある『朝日新聞の記事にみる 追悼録〔明治〕』(朝日文庫)が、机の上にあっ た。 その言葉の前段は「自分は死刑の申渡を受けたる後初めて一切の責任を 解除されたるが如き心地したり」となっている。