斎藤真一著『明治吉原細見記』 ― 2011/02/03 10:11
世田谷区の図書館の本を「吉原細見」で検索したら、斎藤真一著『明治吉原 細見記』(河出書房新社・1985年)が出て来た。 画文集、表紙が紅いランプ の横に立ち、今まさに紅い長襦袢をずり落そうとする裸の娼妓の絵だったので、 図書館の係の女性が一瞬ギョッとした。 表紙裏の見返しは、表が明治14年3 月の『新吉原細見記』、裏が明治30年3月の『新吉原細見記』の写真判になっ ている。 前者は木版、後者は活版印刷である。 「娼妓揚代金直段附合印」 は、5段階で、金壱圓・金五拾銭・金参拾七銭五厘・金参拾銭・金弐拾五銭だ ったのが、8段階、金壱圓・金七拾五銭・金五拾銭・金四拾銭・金参拾五銭・ 金参拾銭・金弐拾五銭・金弐拾銭となっている。
斎藤真一さんは大正11(1922)年岡山生れの画家で、これ以前に『越後瞽女 日記』(河出書房新社)を出していた。 日露戦争が終った年に、斎藤さんの母 を養女にした、つまり養祖母の「久野おばさん」は、明治3年生れ士族の次女 だったが、父も、父の死後母が再婚した相手も、武士の商法で失敗、家族の危 機を救うため、明治20年18歳の時、女衒の鈴木幾松に連れられて、遠い東京 の吉原遊廓に旅立った。 太夫・源氏名紫にまで出世、明治27年秋、年季が 明けて、吉原を去った。 そして翌年、見合いし結婚したが、子供に恵まれず、 十年後に養女をむかえることになる。
そんなわけで、斎藤真一さんは古書店などで資料を集め、明治20年代の吉 原のリアリズム、風の吹く、空気のある、雨や雪の降る四季のある、提灯や洋 燈のともる吉原を描こうと思い立つ。 祖母を始め、当時まわりにいた遊女(お いらん)や吉原芸妓から描こうと思い、一人一人心を込めて描いていった。
新丸亀楼「いろ香」、東京生れ18歳、父は神社の祠官だったが、訟訴に敗れ て職を失い、苦界に身を沈めた。 角海老楼「鶴尾」、京都生れ、父の家業不振 によって、家計を助けるため、自ら。 千中米楼「東雲」、大阪の商家に生れ、 幼くして父を失い、まもなく兄弟も亡くし、病に伏す母を養うべく。 中米楼 「總角(あげまき)」、越後生れ、恋の果てに憂身を河竹の流れに沈めた。 明 治23年、めでたく廃業したのもつかの間、再び中米楼に現われた、まだ21歳。
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