明治吉原、遊女の年齢とお金2011/02/04 06:44

 斎藤真一著『明治吉原細見記』に、遊女(おいらん)の年齢について、明治 44年の統計がある。 2,203名の遊女のうち、一番多いのは21歳、つぎが22 歳、あと20歳、23歳、24歳、25歳の順であり、全体の88パーセントを占め てしまう。 19歳は23名、18歳は1名しかいない。 せいぜい30歳までの ものであろう、という。 明治の法では、16歳から娼妓の鑑札が受けられ、年 季は普通6年であった。 思っていたのより、ずっと若く、今の女子高生から 大学生、あと二、三年という年代が中心だったことがわかる。

 揚代の説明のところで、明治23年4月の『細見』から遊女一晩の料金が1 円から20銭まで8ランクだったといい、いまのお金になおして、いったいい くらくらいの値段か考えている。 お米は当時1升が10銭、いま(1985年) 大まかに600円とすると、1円という一番高い遊女で6,000円。 身売りする ときのお金が300円位だとすると、いまのお金で180万円になる。 180万円 というお金で、一人の女性の6年間もの自由を奪い、苦しく、辛い毎日を送ら せるのだ。 揚代が6,000円だとして、彼女らの手に入るのは、その内25パ ーセント、多くて1,500円、その内900円がもろもろの借金の返済に充てられ、 手元には600円にしかならない、とある。