「英語が〈普遍語〉となりつつある」2011/02/10 06:46

 水村美苗著『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房)を読んだ。  水村さんは、まず自らの用語を定義する、〈普遍語〉universal language、〈現 地語〉local language、〈国語〉…「国民国家(近代的概念)の国民が自分たち の言葉だと思っている言葉」。 (「母国語」でなく)〈母語〉mother tongue。  さらには、「二重言語者」…「自分の〈話し言葉〉とはちがう外国語を“読める” 人」(“話せる”という意味合いの強い「バイリンガル」と区別して)。 「非西 洋圏」「非西洋人」「非西洋語」。

 今、歴史が、大きく動いている。 言葉には力の序列があり、英語が〈普遍 語〉となりつつある。 それは、〈学問〉の世界において、すでに二十世紀半ば には先鋭的に顕れてきていた。 英語圏の圧倒的な軍事的、経済的、政治的な 力に加えて、〈学問〉に非西洋人が参加するようになるにつれ、〈学問〉とは本 来〈普遍語〉で読み、書くという〈学問〉の本質が顕わになってきていたから である。 インターネットという技術が、それを加速させている。

 英語下手な日本人は、日本の国益が問題になる国際政治の場で、日本の置か れた立場や日本がなした選択を、世界が納得できる形で説明できない。 水村 さんは、日本が必要としているのは、世界に向かって、一人の日本人として、 英語で意味のある発言ができる人材である。 日本語を〈母語〉とする人間が そこまでいくのは、並大抵のことではない。 少数の〈選ばれた人〉を育てる ほかはない。 英語を苦もなく読めるのは当然、苦もなく話せなくてはならな い。 そして読んで快楽を与えられるまでの、優れた英語が書ける人もいなく てはならない。