猛勉「月月火水木金金」の成果2011/02/19 07:08

 大野晋さんは、東大の副手をしながら昭和22(1947)年4月から、横須賀 の清泉女学院高校の教壇に立つ。 200万円(今なら1億円)近い書籍の購入 を希望すると、スペインの良家に育ったというマラリヨ院長は、欧米の修道会 を回って用意してくれた。 キリスト教社会と神の権威を学ぶことになった、 その二年間を「日本にいながら西洋留学ができた。それも、中世のヨーロッパ に」と語ったという。

 つぎに行く学習院大学も、研究に必要な書物を比較的自由に買える魅力があ った。 非常勤講師を務めながら、昭和28(1953)年6月、岩波書店から最 初の著書『上代假名遣の研究 日本書紀を中心にして』を出版する。 岩波で『広 辞苑』をつくることになった新村出に「だれか文法のわかる若手を」と頼まれ た西尾実の推薦で、大野さんが参画する。 担当の長田幹雄常務に、基礎語の 扱いが不十分だと指摘して、約千語の意味と用法と用例を書く仕事を、半年で やり遂げる。 昭和30(1955)年5月刊行、大野さんは35歳だった。 つぎ の岩波『日本古典文学大系』『万葉集』四巻の校注にあしかけ7年、36歳の学 習院大助教授で始め、途中で教授になった。 生活は「月月火水木金金」の研 究の日々、東大で橋本進吉の教えを受けていたときと、少しも変らなかった。  大野さんは酒を嗜まず、ゼミの学生には「酒を飲むような時間があったら、勉 強しなきゃ」ということが多かったそうだ。 その間、昭和32(1957)年9 月、岩波新書『日本語の起源(旧版)』刊行。 45歳『日本古典文学大系』『日 本書紀 下』、47歳『日本書紀 上』、55歳『岩波古語辞典』刊行に参画する。

 川村二郎さんが掉尾(ちょうび)に特記している、大野晋さん最晩年の言葉 がある。 「学問というのはね、深めれば深めるほど、自分にわかることがい かに少ないかが、わかってくるもんなんです」