人間は、四代かけて造りあげる2011/02/27 07:34

 竹内政明さんの『名文どろぼう』から、もう一つ。  竹内さんが生きるうえで、最も影響を受けたという、色川武大さんの一文。  『いずれ我が身も』(中公文庫)にあるそうだ。  「近年、私は、人間はすくなくとも、三代か四代、そのくらいの長い時間をか けて造りあげるものだ、という気がしてならない。(中略)人間には、貯蓄型の 人生を送る人と、消費型の人生を送る人とあって、自分の努力が報いられない 一生を送っても、それが運の貯蓄となるようだ。多くの人は運を貯蓄していっ て、どこかで消費型の男が現れて花を咲かせる。わりに合わないけれども、我々 は三代か五代後の子孫のために、こつこつ運を貯めこむことになるか。」

 それでまた、思い出したことがある。 父は若い時に、廣池千九郎という人 の道徳科学(近年は、モラロジーというらしい)を勉強したことがあった。 何 代も続いているような家系を研究した、その教えの中に、(福沢諭吉の言葉だと 言っていたが)立派な人物というものは、一朝一夕にできるものでなく、それ ぞれの代で四分の一ずつ良くなっていって、四代かけて生まれるというのがあ る、とよく話していた。 父は、一から始めた自分の代はまず四分の一、息子 の代は次の四分の一と、考えていたようだ。 商業学校出で、息子三人を大学 にやったのは、その第一歩だったのだろう。  結論を言えば、四分の一ずつ良くなっていくというのもあるけれど、四分の 一ずつ悪くなっていく場合もあるらしい。 わが家の場合、どうも後者のよう だ。 それが、運の貯蓄だったのなら、まだよいのだが…。