漱石は現代日本を書いた2012/03/13 04:34

 半藤一利さんは話をここから、近代日本の成り立ちという大きな問題に広げ る。 ペリーの黒船来航で西洋の力にはかなわないと分かって開国した日本は、 徹底的に西洋の文明を取り入れて、この国が植民地にならないように、きちん とした一人前の国家にすることを考える。 国家という形で統一し、国民の意 思の統一をはかるために、その中心になるもの、柱、機軸を置かなければなら ない。 そこで考えたのが、万世一系の天皇、天皇家を機軸にして、憲法をつ くることだった。 半藤さんは、これをものすごい発明だという。 明治の時 代の国家目標は、富国強兵、皆が富んだわけではないが、強兵の国家が出来て、 植民地にならず、明治37、8年の日露戦争で世界五大強国の一つ帝政ロシアに 勝って、国家を確立した。 そこから日本の国はどんどんうぬぼれのぼせて、 大正から昭和の戦前にかけて、どんどん膨れ上がった結果、かえって国家を滅 ぼしてしまった。 開国から日露戦争の勝利まで40年、その後戦争に負ける までが、ちょうど40年。

 戦後1952年に独立して、廃墟からの再生・復興、そして繁栄を国家目標と して、戦争を放棄し、どこの国とも仲良く、貿易を通して国家の繁栄を図る、 新憲法を機軸にした。 めざましい経済成長をとげ、「バブル」といわれる最盛 期を迎えたのが1992年だから、これも40年。 私たちは今、国家目標がない、 機軸はと問えばどうだろう。 アンケートをとると、憲法を変えるほうがいい という人が70%もいる。 半藤さんは、憲法はまだ十分賞味期限があると考え ているけれど。 では何を国家機軸にするか、若い人に考えてもらいたい。 今 は1992年から20年、40年のちょうど半分だ。 本当の40年になる2032年 の日本は、どういう国になっているだろうか。 高齢者が山ほどいて、働く人 がいない。 これだけは、はっきりしているから、早く手を打たなければいけ ないのに、そういうものに一切手を打っていない。

 半藤さんは、漱石に話を戻す。 夏目漱石が小説家になったのは、明治38 年、38歳、日露戦争が終わる頃だった。 戦争が終わって、日本の国がうぬぼ れのぼせて、世界に冠たる国になっていると自負している状態が、目の前で始 まっていた。 この国はどうなるのかと悩んだ漱石の文明批評の一つが『三四 郎』。 三四郎が東京大学に入るために、熊本から東京に出て来る汽車の中で、 ある紳士と乗り合わせる。 三四郎が「これからは日本も発展するでしょう」 と言うと、その紳士は「この国は亡びるね」と言う。 日露戦争に勝った日本 人が、うぬぼれのぼせて、真面目な気持を失って自分たちで何も新しいものを 作ろうともせずに、ただ外国のものをもらってきて、借り着をしているだけで、 この国の本当に自分たちのものを作っていない。 現在の私たちも同じような ことに直面している、と半藤さんは言う。 戦後日本の私たちも素晴らしい国 を作ったつもりだった。 明治の人たちがそうしたように、みんなで一生懸命 走った。 明治の人たちが、解決しておかなければならないことがたくさんあ るにも関わらず、解決しないで走ったように…。 大事なことを後回しにした ツケが、今来ているのだ。 これからどうすればよいか、皆さんと一緒に考え なければならない。 しかし、私もいい歳で、もう考えが出ない。 若い人た ちに是非本気になってこの問題に取り組んでもらいたい。

 漱石の小説は少なくとも『門』までは、現代日本を書いている。 現代日本 の直面している問題を、そのままそっくり漱石が自分で見てきた。 もう一度 読むと、多分いろんな発見があるだろう、まずは『坊っちゃん』から、という のが半藤一利さんの結論である。