福沢の近代化構想は実現したか(1)2012/03/14 04:08

 三日間にわたって、半藤一利さんの講演「夏目漱石『坊っちゃん』を読む」 をご紹介したのは、それが福沢諭吉と関連するからでもあった。 福沢が幕末 から明治初期に構想した日本の近代化は、本当に実現したのだろうか、という 問題である。 近年の福沢研究は、否定的な見方をしている。 この日記にも、 そのいくつかを書いてきた。 三日をかけて、ざっと復習しておく。

 松崎欣一さんの見解を、私はずばり「福沢の筋書(理想)と現実との乖離<小 人閑居日記 2004.11.30.>」と題した。 みずからの描いた筋書(理想)と現実 との乖離に対する福沢の「無限の苦痛」が、存命中に自ら編み刊行した『福沢 全集』全五巻、『全集緒言』、『福翁自伝』を生んだ。 『自伝』と『緒言』が、 福沢の前半生に大きな比重をおいているのは、自らが掲げた維新変革期の理想 の原理に、改めて立ち帰ることの必要を認識したからではないか、と松崎さん はいうのだ。

 「時の政府は、徹底した中央集権のもとでの制度変革に重点をおき、国民を 支配される者と位置づけ、旧精神の温存と再編をはかろうとしたのに対し、福 沢は、その根底に個人の精神革命を軸に時代の精神そのものの変革をすえた。 両者は思想レベルで鋭い対立をはらんでいた。/両者のこうした緊張関係が、 いかなる憲法をもつべきかという緊迫した状況のもとであらわになったものが 明治十四年政変であった。」」(正田庄次郎「『文明論之概略』の日本近代化構想」 <小人閑居日記 2011. 11. 14.>)

 「初めのうちは『学問のすゝめ』が何百万部出たかわかりませんが、海賊版 まで出た。それが彼の収入そのものだったわけですけど、明治十三年に、政府 が統制に切り替え、福沢の著作がすべて教科書として使用禁止とされてからは 全然売れなくなった。そうしますとたちまち財政難に陥って、ほうぼう福沢は 金策に走り回ったりする。しかし福沢は決して「私立」の原則を崩さなかった。」 (朝日文庫『瘠我慢の精神』藤田省三「『瘠我慢の説』を読む」)   明治14年 の政変以前から、福沢に対するこういう圧迫は始まっていた訳で、さらに政変 が決定的な追い討ちとなった。 政変は門下生たちの境遇にも大きな影響を与 えたから、平気を装ってはいたが、福沢の受けた衝撃の大きさとその苦悩はか なりのものであったろう。(「福沢の著作、すべて教科書に使用禁止」<小人閑 居日記 2009. 1.2.>)