浜松の松下家に少年秀吉が仕えた ― 2017/12/11 07:21
その本というのは、磯田道史さんの『日本史の内幕』(中公新書)である。 「戦 国女性の素顔から幕末・近代の謎まで」という副題がついている。 磯田さん は、茨城大学准教授で有名になった後、浜松市にある静岡文化芸術大学教授を 務めていた(昨年から日本国際文化研究センター准教授)。
驚いたのは、浜松の松下家に16歳から18歳までの豊臣秀吉が仕えていたと いうのである。 松下氏は頭陀寺(ずだじ)という修験者(山伏)の多い集落 の豪族で、これが秀吉の最初の武士への就職だという。 磯田道史さんは、古 文書の中に意外な一文を見つけた。 江戸期に編まれた徳川家康の伝記「大三 川志」の小牧長久手合戦出陣の条に、「茂るとも羽柴は松の下水哉(かな)」と いう不思議な連歌の句が書き込まれていた。 「羽柴秀吉は反映しているよう にみえても松(平)の下っ端にすぎない」という意味で、松平とは、徳川家の ことである。 磯田道史さんは、浜松市文化財課と一緒に浜松市長に頼んで、 松下館跡を小学生も参加して発掘したが、室町時代の中国製の青磁と白磁のか けらが出土し、室町の豪族居館であることがはっきりしたという。
つまり秀吉は浜松で下積み時代を過ごした。 浜松人はみすぼらしかった秀 吉少年の姿を知っており、秀吉との戦いに出陣の時、「秀吉は所詮、松下の元奉 公人、松下や松平の下働きだ」と噂していた可能性だってあるというのだ。
磯田道史さんは書いている。 松下氏は井伊直虎の親戚にあたる。 しかも、 武田軍に井伊谷城を奪われた直虎は松下館に一時身を寄せていた可能性が高い。 直虎の養子・直政は幼時、松下姓を名乗っていた。 松下家の娘が柳生家に嫁 ぎ、剣豪・柳生十兵衛を産んでもいる。 秀吉は松下から「公」をとって「木 下」を名乗ったともいう。 秀吉は織田家の家臣丹羽と柴田から「羽柴」の苗 字を拵えたぐらいだからありうる、と。
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