柳家花緑の「中村仲蔵」後半2017/12/09 07:07

 中村仲蔵、あれこれ考えるが、なかなかいい案が思い浮ばない、神信心だと 柳島の妙見様に日参する。 急な雨になって、本所割下水の蕎麦屋に入った。  許せよ、と入って来た侍、旗本だろう、年ごろは二十七、八、苦み走ったいい 男だ。 黒紋付だが、垢で汚れて赤羽二重の黒紋付、駄菓子屋の婆さんに借り た傘を、破れて半開きのままポーンと放り出す、びしょびしょに濡れた袂をし ぼる。 袷の裏を自分で取っ払った糸が垂れている、茶献上の帯、艶消しの大 小を落とし差しに、尻はしょり、五分月代(さかやき)。 お前、じろじろ見て、 役者だな、俺も旗本の端くれ、仁村新次郎だ、真似をするとお礼参りに行くぞ、 と言い残して、チャッ、チャッ、チャッと去って行った。 ありがてえ、これ だ、妙見様を信心したお蔭だ。

 斧定九郎は、どてらにたっつけ山岡頭巾という山賊の恰好のはずだが、お侍 の形(なり)を借り、真っ白に塗って、茶献上の帯は白献上に、艶消しの大小 は朱鞘に、カツラの五分月代は熊の皮にして、水を三杯かぶって舞台に出た。  与市兵衛を殺して、金を奪い、ヤァー、カラリと舞台中央で見得を切って、刀 を鞘におさめる。 白と黒、パンダですかね。 あまりの美しさに、観客は誰 も何とも言わない。 しくじったか! 追って来た勘平が、猪に打った鉄砲が 定九郎に当る。 蘇芳紅を口に含んでいて、吐いた赤い血がビビビッと走る。  観客が唸る。 三度、唸らせた。

 お吉、しくじった。 お前さん、ごめんなさい、私が余計なことを言って。  この足で、上方へ行く、あっちで生涯芝居をする。 尾頭付きのお赤飯を用意 してあるから、一口手を付けて下さい。 私は近所の子供に手習いを教えて暮 します。 仲蔵が住吉町を出て、日本橋を通る。 おじさん、芝居を観て来た って。 五段目の定九郎が駄目だったのは、昨日までだ。 山賊の恰好だった けれど、家老の倅だろう、白塗りで、鷹の羽のぶっ違えの紋付、いい形なんだ。  仲蔵は末には偉えもんになるぞ、いいものを見た、冥土の土産だ。 五段目の 定九郎を観なくちゃあいけない、明日はみんなで行こう。

 それを聞いて、仲蔵はお吉に話そうと戻りかける。 ちょいと、お前さん、 親方が使いを寄越したから、親方の所へ行ってちょうだい。 仲蔵、やっと来 たか、小屋でえれえことをしてくれたそうだな。 伝九郎さんが、おたくの堺 屋さんが、えらいことをした、と言うんだ。 五段目が終ると、お客様がぞろ ぞろお帰りになる、五段目はよかった、明日は仲間を誘って観に来ようと、皆 様口々に言うんだ。 親方はいいお弟子さんをお持ちになりましたなって。 顔 が赤いだろ、飲めない酒を飲んだんだ。 お前は、いずれ檜の座頭になる男だ。  仲蔵でかしたぞ、江戸中で評判だ。 でも、天狗になるな。 天狗が、芸の行 き止まりだ。 小芝居の気持でやれ。 明日から盛り場の総見だ、おめでとう。  あっしは、まずくはなかったんですか。

 女房のお吉が心配していると思いますから。 お前さん、どこにも行かない んだね。 よかった、何か私、安心して、お腹が空いているのに気がついた。  お前もか。 家で、弁当幕の定九郎だ。