「寝たきり老人」を起こす2017/12/25 07:14

 『週刊文春』12月21日号の「阿川佐和子のこの人に会いたい」大塚宣夫さ んの回は、それから大塚先生がどうしてこういう老人病院をつくることになっ たか、介護は素人が気持ちだけでできるものではない、という話になる。 そ れについては、今まで私も「等々力短信」や「小人閑居日記」に、時代を追っ て何度か書いて来た。 それを、いくつか紹介したい。

   「寝たきり老人」を起こす<等々力短信 第515号 1989.11.25.>

 高校時代の同級生で、7月に馬場流手紙術免許皆伝状を授けた青梅慶友病院 の大塚宣夫院長が、江藤淳さんの原稿脱落ミスで問題になった文藝春秋12月 号に『「寝たきり老人」を起こす』という文章を書いた。 開業以来十年にわた る老人病院での実践を通じて、形作られた彼の老人医療についての考え方や、 日本の老人医療をめぐる状況がよくわかるので、かいつまんで紹介してみたい。

 ヨーロッパの老人病院や老人介護施設には「寝たきり老人」がほとんどいな いと聞いて、昨年6月現地を確かめに行った。 案内コースをはずれたりして 探したが、確かに「寝たきり」患者はいない。 理由は二つある。 まず、朝 になると、よほど重い患者以外は、寝間着から洋服に着替えさせ、ホールに連 れ出し、話をしたり、手作業や簡単なゲームをしたり、あるいはただ座ったり させている。 つまり日中は「寝たきり」でなくて、「座りっきり」の姿勢を保 たされるわけだ。 第二に、食事にせよ、水分にせよ、口の中に入れてやる介 助は十分に行うけれど、もし、それをのみこめなくなったら、それ以上の手段、 つまり点滴や管を通じて胃の中に栄養分等を入れて、延命をはかることはしな い。

 ショックを受けて帰国した大塚院長は、さっそく自分の病院で、寝たきり患 者を起こし、ベッドから離す試みに挑戦する。 医師や看護婦の反対もあった が、病院の最高責任者として、自ら責任を取ることを約束して、協力してもら った。 挑戦十か月、結果はどうだったろう。 青梅慶友病院に入院中の556 人の老人患者の内、「寝たきり」の人が半分、その人々を含めベッドから離れる のに他人の助けを必要とする人が七割いた。 それらの人のうち、病状の重い 人を除いた345人を対象にして、「1日1回、2時間程度、週に4回、車椅子に 座らせる」といったメニューが試みられた。 対象になった患者さんの約4割 に、精神活動が活発になり、食事摂取能力が向上し、夜間の睡眠も改善するな ど「明らかに好ましい変化」がみられた。 「それまで、ベッド上に寝たきり で、表情もうつろで、ほとんど口もきかなかった老人が、1日に2、3時間、車 椅子にのって周囲の刺激にふれるだけで、まもなく顔面に生気と会話が甦る様 子は感動的ですらあり、御家族の歓びはひとしおである」と、大塚院長は書い ている。 問題は、現在の医療制度が、生活の質を高めて老人に生きがいと歓 びを与える、こうした人手と設備のかかるやり方に不向きで、いわゆる「薬漬 け」に適している点にあるのだそうだ。

「我々は「本が作った国」に生きている」<等々力短信 第1102号 2017.12.25.>2017/12/25 07:17

 磯田道史さんの『日本史の内幕』(中公新書)に「我々は「本が作った国」に 生きている」という一文がある。 初出は『新朝45』2015年2月号。 日本 の出版文化の充実ぶりは、世界を見渡しても類例がない、それは江戸時代の遺 産といってよく、江戸日本は世界一の「書物の国」で硬軟さまざまな本が流通 していた、と言う。 幕末史は書物で動かされた面があったと、例を挙げる。  頼山陽の『日本外史』や『通義』、武家の興亡や、日本はだれがどのように治め てきたか、歴史を繙きながら、いかにあるべきかを説いている。 これによっ て江戸後期の日本人は、時間のタテ軸による社会の変化のあり様を知った。 清 の思想家・魏源(ぎげん)の『海国図志』、西洋列強が覇を競う世界情勢を克明 に記したもの。 元々は清の国政改革を促そうとした書物だが、これにより日 本人は空間のヨコ軸で、世界で何が起きているかを知った。 阿片戦争に危機 感を募らせていた知識層に読まれ、佐久間象山や吉田松陰は大きな影響を受け た。

 当時の出版文化がすごいのは、江戸、京、大坂などの大都市だけではなく、 各藩、各地域の村々まで書物が行き渡っていたことだ。 武士・神主・僧侶の 家に四書五経が揃っていたのは当り前で、むしろ庶民の家にも多くの書物があ った。 江戸時代に出されたさまざまな本が、職業知識や礼儀作法、健康知識 などのインフラを築いていた。 そこが中国や朝鮮とは決定的に違う。 中国 や朝鮮には高度の儒教文化や漢方医学の体系があったが、科挙の受験者や一部 専門家の知識に留まった。 ところが日本では、仮名交りの木版出版文化で、 本によって女性や庶民へ実学が広がった。 識字率の高い、質の高い労働力の 社会ができあがった。 いわば「本」こそが日本を作ったといってよい。 大 砲が日本を作ったのではない。 すぐに大砲も自動車も自前で作れるようにな ったが、日本人の基礎教養は、長い時間をかけて「本」が作り上げた。 この 点が重要だ。

 日本が植民地にならず独立を守れたのは、単に遠い島国だったからではない。  島国というならフィリピンもスマトラも、みな植民地になっている。 日本が 独立を保ってこられたのは、自らの出版文化を持ち、独自の思想と情報の交流 が行われたからである。 歴史家として言いたい、この社会はその重みをもう 一度かみしめなくてはならない。

 磯田道史さんのこの議論には、まったく同感した。 この4か月の短信に書 いたことは皆、そこに関連している。 8月25日・第1098号「読書と「引き 出す」」、9月25日・第1099号『R.S.ヴィラセニョール』(フィリピン史)、10 月25日・第1100号『文明としての徳川日本』、11月25日・第1101号「『西 洋事情』の衝撃」。