『福翁自伝』の表と裏―松沢弘陽さんの読みなおし(1)〔昔、書いた福沢122-1〕2019/10/05 07:07

 『福澤手帖』第152号(2012(平成24)年3月)の「『福翁自伝』の表と裏 ―松沢弘陽さんの読みなおし―」。

 『福翁自伝』は、福沢の本の中で一番親しみやすく、今まで能天気に、面白 い面白いと言って読んできた。 そこへ「ガツーン」と、強烈な一発をくらっ た。 今まで私が読んだ積りになっていたのは、何だったのか。 双六の「振 出しに戻る」というやつである。

 昨秋10月29日、松沢弘陽さんの講演「『福翁自伝』を読みなおす―私にと っての福澤諭吉」(三田演説館、福澤研究センター・福澤諭吉協会共催) を聴 いた。 そして松沢さんが綿密な校注を担当した「新日本古典文学大系 明治編」 『福沢諭吉集』(実は『福翁自伝』だけの収録。岩波書店、昨年2月刊)を手 に入れた。

 その『福沢諭吉集』の、松沢弘陽さんの解説「自伝の「始造」―独立という 物語」から始めたい。 『福翁自伝』の特徴は、第一に著述と公刊という行為 自体が、日本の文化における「始造」であった。 それには自らの生涯の物語 によって、広く公に対して「独立の手本を示さん」という主題と意図があった。  福沢は自己の生の終わりを見すえて、死後の開かれた未知の多数の読者に「独 立の手本を示」すことを願った。 第二に、『福翁自伝』の中の福沢は、自分の ライフ・ストーリーの重要なことがらが、初めて語る真実であることを繰り返 し告白した。 松沢さんは、『福翁自伝』の一つ一つの語りを同時代史の証言と して、理解し、『福翁自伝』の豊かさを引き出すために不可欠であると、この本 の脚注と補注を通して、自ら「煩瑣なまで」という検証を行った。 先行研究 も博覧した、その検証の結果、福沢の語りには大小の誤りが多いことがわかっ た。 『福翁自伝』で語られる事実は、福沢にとってのその事実の意味(←二 字に傍点)に価値があるのであり、年代記や地誌や制度史上の正確さには関心 がなかったのではないか、という。 それは『福翁自伝』の第三の特徴にかか わってくる。 終始のびやかで平明な語りかけの文体でありながら、全体を通 じる基本的主題が一貫して保持されている。 そして主題の展開が構成的であ り、基本的な主題に従って、語る経験がはっきり選択されるスタイルだ、とい うのだ。 その一例は、こうだ。 福沢の活動の範囲の拡大と社会的地位の上 昇は、幕末の藩政改革・幕政改革と人材登用が引き起す社会的上昇気流に乗る ことによって進んだ。 しかし「一切万事、人にも物にもぶら下らずに(略) 世の中を渡るとチヤンと説を定めて居る」という「独立」の基本主題になじま ないと考えたのであろうか、このような改革機運の中で福沢に力を藉した人々 は『福翁自伝』の語りから省かれる。 たとえば中津藩改革派の人達、小幡篤 次郎(補注で復権が述べられる)、語られているより遥かに恩恵を受けたであろ う緒方洪庵夫妻、木村芥舟など。 他方、福沢が「独立」のために戦った敵を 強調するためであろうか、さまざまな旧制度の具象化ともいうべき悪役が、要 所要所で語られる。 たとえば、門閥社会の「大家(たいけ)の子」奥平壱岐。  近年の研究は、彼が無能でも、福沢に悪意をもって画策したのでもなく、むし ろその反対であることを明らかにしている。

 松沢さんは、全体を通じる主題を、閉ざされた小社会の中の孤立した自我が 「独立」に向かって自己形成する物語である、と読む。 閉鎖的な藩地で疎外 された孤立から出発し、自己を抑圧する政治体制と社会に働きかけ、あるいは 巧妙にしたたかに戦い、たびたび自我の危機をくぐり、「独立」の内実を豊かに し、また深めてゆく。