『福沢諭吉の手紙』(岩波文庫)の重版2021/07/30 07:01

 岩波書店は2021年夏「岩波文庫一括重版」の一冊に『福沢諭吉の手紙』を加えた。 出庫日は7月13日。 かねてから、しばしばお勧めしてきた本だが、なかなか手に入らなかったかもしれない。 ぜひこの機会に、お求めください。 2004(平成16)年の刊行当時に書いた、「等々力短信」第939号「左のポッケにゃ福沢手紙」を下記に引いておく。

 今回の「岩波文庫一括重版」では、『福沢諭吉教育論集』(山住正己編)のほか、『幕末維新パリ見聞記』―成島柳北「航西日乗」・栗本鋤雲「曉窓追録」―(井田進也校注)、宮崎滔天『三十三年の夢』(島田虔次・近藤秀樹校注)、中野重治『中野重治詩集』、『河鍋暁斎戯画集』(山口静一・及川茂編)などの興味深い本も含まれている。

     等々力短信 第939号 2004(平成16)年5月25日               左のポッケにゃ福沢手紙

 先月16日、岩波文庫から慶應義塾編『福沢諭吉の手紙』が出た。 昨年完結した『福澤諭吉書簡集』全九巻の編集委員8名の内5名の方々が、その2,564通に及ぶ手紙の中から興味深い118通を選び、思い切って読みやすい表記で編集したものだ。 何といっても文庫だから簡便で、ポケットに入れておいて、どこででも読むことが出来るのが有難い。 表記のやさしさもあって、あらためて気づくことが多いのである。

 まず福沢の片仮名が面白い。 「マインドの騒動は今なお止まず」「旧習の惑溺を一掃して新らしきエレメントを誘導し、民心の改革をいたしたく」「結局我輩の目的は、我邦のナショナリチを保護するの赤心のみ」「あくまでご勉強の上ご帰国、我ネーションのデスチニーをご担当成られたく」という有名な明治7年10月12日付馬場辰猪宛を始め、インポルタンス、スクールマーストル、プライウェートビジニス、モラルスタントアルド、ソンデイの夜、スピーチュの稽古、「ウカウカいたし居り候ては、次第にノーレジを狭くするよう相成るべく、一年ばかり学問するつもりなり」といった具合である。

 漢詩がすべて読み下し文で表記されているのも、新鮮な気持で福沢の漢詩に接することが出来た。 時代だったのか、福沢創立の学校だからか、高校で漢文を習わなかった。 漢詩の平仄(ひょうそく)韻字など、まったくわからない。 福沢は、主に門下生への手紙の中でときどき自作の漢詩を披露し、必ず「ご一笑下さるべく候」「これもお笑種(ぐさ)」といった文句をつけている。 案外自信があったのかもしれないが、どうもあまりうまいとは思えない。 しかし正直な気持が、素直に吐露されているのは確かだ。 一太郎、捨次郎の両息をアメリカ留学に出し、その船中を思って「月色水声夢辺を遶(めぐ)る/起きて窓外を看れば夜凄然(せいぜん) /烟波万里孤舟の裡(うち)に/二子は今宵眠るや眠らざるや」。 当然23年前の自身の咸臨丸渡航のことを思い出しただろう。 積ん読の富田正文先生の『福澤諭吉の漢詩35講』(福澤諭吉協会)を見たら、全漢詩の現代語訳があって、おかげでほかの詩の意味までわかるという余禄があった。

 『福沢諭吉の手紙』には、名宛人別索引、「こと」と「ことば」の主題索引、福沢の略年譜が付いていて、便利だ。 「ママヨ浮世は三分(さんぷん)五厘」という「ことば」は、どの手紙にあるか。 聞いたことのなかった「志摩三商会」「賛業会社」、そして親類の住む愛知県春日井の「春日井事件」についての手紙を読んでみた。