忘れられた鈴木安蔵と憲法草案2022/06/07 06:57

 戦後の日本国憲法制定の頃のことを書いた、もう一つの新聞記事は、5月25日朝日新聞朝刊「多事奏論」、オピニオン編集部駒野剛記者の「忘れられた憲法草案 受け継ぎたい先人の思い」だ。 憲法学者、鈴木安蔵、私は名前も知らなかった。 駒野記者も私と同じような調べ方をしている。 デジタル版の『広辞苑』にも『大辞林』にもなく、小学館の『大辞泉』でようやく見つかったとある。 「戦後は高野岩三郎らと憲法研究会を結成。『憲法草案要綱』の起草にあたった」。 さらに「憲法草案要綱」を引くと、鈴木らの「憲法研究会が発表した憲法の草案。日本国憲法の基礎となったGHQ草案に影響を与えた」とあったそうだ。

 駒野記者は、「鈴木らの活動は歴史の流れの中で忘れられた。憲法は連合国軍総司令部(GHQ)が草案を作り、それを日本が受け入れたという物語が残り、ゆえに「押しつけ憲法」と批判され、改憲の名分にされてきた。」とする。

 そして鈴木安蔵の生誕地、福島県南相馬市、JR常磐線小高駅に近い旧家を訪れる。 「鈴木安蔵を讃える会」が、この家を「憲法のふるさと」として保存、その業績を広く知ってもらう活動をしている。

 1945年8月の敗戦直後、社会思想家の高野岩三郎らは日本文化人連盟の結成を呼びかけた。 10月29日、創立準備会が開かれ、高野は出席した鈴木に「憲法も改正しなくてはならない。憲法をやってきた君が努力せよ」と働きかけた。

 憲法を一から作る時、鈴木は絶好の人材だった。 戦前治安維持法違反で投獄後、日本の憲法の問題点を学ぼうと、自由民権運動の指導者の一人植木枝盛らのつくった私擬憲法案や世界の憲法の研究を重ねた。 11月5日、彼を幹事役に憲法研究会の初会合があり、毎週水曜日に新憲法の条項を話し合った。 最終案は12月26日にまとめられ、首相官邸に渡され、新聞発表された。

 28日の朝日新聞朝刊に「統治権は国民に」の見出しで憲法草案要綱が載った。冒頭「日本国の統治権は日本国民より発す」と宣言。 国民主権をうたい、天皇が主権者とした旧憲法の全否定から始まった。

 「国民は民主主義並(ならびに)平和思想に基く人格完成社会道徳確立諸民族との協同に努むるの義務を有す」という、日本国憲法の平和主義に連なる条項も盛り込まれている。

 政府も改憲案を練るが天皇主権の基本を変えない小手先の改正にとどまっていた。

 軍部が天皇主権に乗じ国家を独裁したのが侵略の起点と見なしたGHQは、国民主権への抜本変更が不可欠と考えた。 要綱が出たのはこの段階で、後のGHQの草案作りに少なからぬ影響を与えたのだ。

 焦土の中、果敢に議論し、日本のあるべき姿を求め、自ら憲法を作ろうとした人々がいたという事実を忘れてはなるまい、と駒野記者は言う。  そして、ロシアのウクライナ侵略後、憲法の考え方に影響が出ているけれど、うろたえず冷静に考えて、憲法に託した鈴木らの思いを受け継ぎたい、日本の礎、平和主義、国民主権、基本的人権の尊重の大原則は、揺るがしてはならない、と主張している。