前田祐吉監督の「野球はもっともっと楽しいもの」 ― 2022/07/01 06:56
「慶應野球と近代日本」開催記念のシンポジウムは、前田祐吉野球殿堂入記念「今、Enjoy Baseballを語る」だった。 前田祐吉さんについては、私も都倉武之さんの話を聴いて、「慶應野球と福沢諭吉<等々力短信 第1155号 2022(令和4).5.25.>」で、少し触れていた。 前田祐吉さんは、1960(昭和35)年に29歳で慶應義塾大学野球部監督に就任、同年秋に早慶六連戦を戦った(その年、私は大学に進み、いつもグラウンドで紳士的な前田監督の姿を見ていた)。 1965(昭和40)年までの第1期に、リーグ優勝3回。 1982(昭和57)年、前年東大に勝ち点を許して最下位になったチームの立て直しのため、51歳で第2期監督に就任、4年目の1985(昭和60)年秋、チーム二度目の10勝無敗完全優勝を果たし、ストッキングに二本目の白線が入った。 1993(平成5)年までの12年間に、5回リーグ優勝している。
配られた資料の中に、前田祐吉さんが第2期監督時代の1990(平成2)年3月に書き、“Baseball Clinic”1990年4月号(ベースボール・マガジン社)に掲載された、「野球はもっともっと楽しいもの」のコピーがあった。 見出しだけ拾うと、「武士の土壌に根を下ろした異質ベースボール=「野球」」、「戦争で持ち込まれた多くの不条理が、今も根強く残る」、「挨拶は心で交わすもの、不自然なお辞儀に抵抗を感じる」、「髪形は個人の判断で。坊主頭は強制されるべきではない」、「一本勝負の勝ち抜き戦が、消極的な野球を生み出している」、「最近目立ってきた個人記録への行き過ぎたこだわり」、「無意味な大声はりあげるより、まず身体を動かせ」。
前田祐吉さんは、こう書いている。 「好きな競技を選んで、自ら工夫を凝らしながら、自発的に努力することを楽しむのが、スポーツ本来の姿。」 「日本でしか理解されない偏狭な精神主義や、時代遅れの野球観を改めて、元来野球が持っている爽快さ、明るさ、楽しさを取り戻したいと願うのは見当違いであろうか。」 「野球はチームプレーであると信ずる。」
前田祐吉監督を語るシンポジウム ― 2022/07/02 06:53
そこで、前田祐吉野球殿堂入記念「今、Enjoy Baseballを語る」シンポジウム。 出席者は、清澤忠彦(元投手、住友金属元監督、高校野球元審判員)、上田誠(慶應高校野球部元監督)、堀井哲也(慶應義塾大学野球部監督)、前田大介(前田祐吉元監督次男)、上田まりえ(スポーツキャスター、元日本テレビアナウンサー)で、司会を古葉隆明(東京国際大学専任講師)と都倉武之(慶應義塾福澤研究センター准教授)が務めた。
前田祐吉監督の思い出。 清澤忠彦さんは前田監督1期目、歳もそれほど離れていない、試合当日まで知らせない投手の起用法には疑問があるようだった(清澤さんの早慶六連戦の思い出を、「慶應、法政の三浦投手に「ノーヒットワンラン」」<小人閑居日記 2021.4.18.>に書いた)。 前田監督は、高校野球が嫌い。
堀井哲也監督は、前田監督2期目、新年のミーティングで、2年~4年生80名ほど、レギュラーの1番から8番までポジションを発表、7番センター堀井、その8名だけ残れ、2か月間見て課題を与える、と。 厳しい人、背筋が伸びて、凍った。 前田イズムは、(1)全力でやれ、(2)相手のことを考えるチームプレー、(3)自分で工夫。 監督になって、知らず知らず、それを求めている。
上田誠さんは、前田監督には、慶應高校監督になるのやアメリカ野球留学などに大変お世話になったが、高校の試合でスクイズで10点目を取りコールド勝したのを叱られた、野球には初回からバントしないなど、アンリトンルールがあると。
古葉隆明さんは、古葉竹識広島カープ監督の息子さんだそうだが、前田監督は、技術指導はしない、自分で工夫して練習せよ、と。 父、竹識と同じ。
前田大介さん、家族としては「エンジョイ・ファミリー」ではなかった。 年取ってからの子で、勉強に厳しく、英語の原書を渡された、発明狂で晩年に二冊の本を出したが、一冊は発明の本で、遠赤外線の効果とか言っていた。 先月、母が亡くなったが、愛妻家だった。
都倉武之さんは、アメリカ的な野球、堀井哲也さんが大学3年の時、アメリカ遠征、手紙二通で学生30人連れてアメリカへ行った。 牧野直隆高野連会長に対し「弱いから行くんだ」の情熱で、沢山の支援を受けて、ロスの地へ、UCLAのアダムスヘッドコーチの指導を受け、その後の慶應野球の歴史を変えた。 慶應野球部は、現在も3年に一度アメリカ遠征している。
『スクラッチ』コロナ禍、中3の夏の物語 ― 2022/07/03 06:39
歌代 朔・作『シーラカンスとぼくらの冒険』<小人閑居日記 2012. 1. 28.>
江國香織さんの《小さな童話》大賞<小人閑居日記 2012. 1. 29.>
シーラカンスと若気の至り<小人閑居日記 2012. 1. 30.>
80歳を超えた今も年賀状のやり取りをしている品川区立延山小学校の同級生から、娘さんの第二作目の本『スクラッチ』(あかね書房)が送られてきた。 巻末の著者紹介に、「図書館司書、保育士として勤めながら、創作活動を続け、デビュー作『シーラカンスとぼくらの冒険』(あかね書房)で第41回児童文芸新人賞を受賞。その後愛媛県に移住。現在、小中学校で子どもたちの学校生活に関わりながら、作品を書き続けている」とある。 10年経っての二作目出版、その間この道一筋、前向きに続けられたご苦労が思われ、この上梓の喜び、いかばかりかと想像する。 父上が二日で読み切ったそうな『スクラッチ』、私もたちまち引き込まれて、二日と少しで読み切った。
三年目に入ったコロナ禍、貴重な日々を送るべき感受性豊かな中学3年生は、どんな影響を受けているのだろうか。 オンライン授業で友達に会えず、先生のナマの講義も聴けない、給食も黙食、運動会も修学旅行も中止とかいった、報道に接するたびに、暗い気持になる。
『スクラッチ』は、いなか町の中学3年生の夏の物語。 この町ではコロナ患者はほとんど出ていないのに、3年生になってすぐ、「コロナ対策で全国一斉休校」の非常事態になった。 あとで仲間になる健斗が言う、「成績トップ冷静画伯」千暁(かずあき)、「コートの猛獣向かうところ敵なしのエースアタッカー」鈴音、「成績優秀頭脳派セッター生徒会長」文菜の4人が主人公だ。 千暁と、事情があって寝るために来ている健斗の美術部は、市郡展こと「市郡こども美術展」が今年は審査なしで飾るだけ、二年連続特選の千暁はがっかりだ。 鈴音と文菜のバレー部は、中学生活の中で一番大切なイベント、「総体」市郡総合体育大会がなくなり、勝ち進めば県総体、全国という夢も閉ざされ、超最悪だ。
「できない」「中止」「あきらめろ」を、彼らはどのようにして、ブレイクスルーするのか。
千暁(かずあき)と「おてんば」鈴音 ― 2022/07/04 06:58
千暁(かずあき)は小4の時、洪水に遭って、母方の祖父母の住む、このいなか町に越してきた。 おそるおそる近所を歩いていて、自転車を投げ出し、あおむけの大の字になって寝転がっている、鈴音と出っくわした。 真っ黒に日焼けして、ショートカットに妖怪キャラのTシャツ短パンで、男子だと思ったのは秘密だけれど。 千暁は、家が近かった「野生の」「野良」鈴音に、半ば強引に巻き込まれるように、虫取り、川でハヤやサワガニ取り、おいしいルビーのような実のありかを教えてもらったり、「こちら」の子どもの遊び方を伝授してもらった。
中学校帰りの夕方、千暁が自転車で坂道のカーブを下ると、鈴音が横倒しの自転車のそばに転がって、「もういやだ――――!!! コロナふざけんな―!」「もう最悪だよ。超最悪! 総体なくなったし! 暑いし! パンクするし」。 千暁は鈴音の自転車を自転車屋に運んで、自分の自転車に乗って行って家の前に置いておくように鈴音に言う。 鈴音は、不本意ながら自転車パンクで千暁に助けられ、なんであいつはマンガに出てきそうなヘタレひょろ眼鏡のくせに、いっつも不似合いなイケメン行動をするんだろう、ちょっとはわきまえろよ、と思う。
翌日の教室、「はよー」と文菜、鈴音は「よっす」と返す。 千暁に「きのうはあざっす」。 これは、ありがとうございます、らしい。 中学生言葉か、「陰キャ」「コミュ力」「非モテ」「対人ハイスペ」などは、前後の関係から何となくわかる。 会話は、方言ではない。 ただ、千暁が「おせらしくなった?」という両親の会話があり(264頁)、「おせらしくなる」は、こちらの方言で、大人っぽくなるという意味だ、とある。
美術部顧問の泉仙(いずみせん)先生は女性、独特のキャラクターだ。 「生徒を教え導く一般的な教師像」とはほど遠い、行動原理のよくわからない自由さがあり、つかみどころがないけれど、ときおり千暁にする絵のアドバイスや見立ては確かで、実はすごい画家らしいって話も、ただの噂じゃないらしい。 市郡展の特選は、1年は透明水彩、2年はアクリルガッシュだったが、泉仙先生に相談すると、ホルベインのオイルパステル百色の木箱を、目の前にどん、と置いた。
千暁は50号のパネルにオイルパステルで、スポーツする仲間たちを色鮮やかに描き始めた。 だが、泉仙先生は構成も、色彩感覚、バランス、デザイン性も特選レベルだけれど、君はこの絵を描いていて楽しかったか? あるいは苦しかったか? と聞き、杞憂だったらいいんだ、と謎の言葉を残した。
美術の授業が「墨絵」だった鈴音が、筆を洗いに行って、たまたま千暁の躍動感あふれる色鮮やかな絵に、見とれてしまう。 次の数学、教室移動だよの声に慌て、うっかりパレットの上にはさんだ筆から、墨汁が飛んだ。 「べちょ」、ああ、千暁の絵を汚してしまった。
『スクラッチ』とは、何のことか? ― 2022/07/05 07:07
数学の時間が終るや、鈴音は千暁の腕をひっつかんで美術部にダッシュした。 「ほんとごめんほんとごめんほんとごめんんんっ!」 「いいよ」千暁は言った。
市郡展の審査がないってことが、思いのほか響いていて、うまく絵が描けなくなっていた。 体育館の鈴音たちも、大会がなくなって、ふてくされて練習に身が入らなくなっている。 ……この墨で汚されたのは、今の僕らそのものじゃないか。 千暁は黒のアクリルガッシュを取り出して、特大の黒チューブを金属製のトレーに乗せて、版画に使うローラーにべったりとつけた。 はじから慎重に、しっかりと、あざやかだった絵の上に転がしていく。 黒く。 黒く。 全部、黒くすると、不思議なことに、少しずつ、少しずつ、気持ちは落ち着いていった。 そうだ、なんかこの絵は嘘っぽいって心のどこかでずっと思っていたんだ。
がたん、と部室のドアが開いた。 部活が終り、バレー部のネイビーブルーのユニフォームを着たままの鈴音がひどく青ざめた顔をして千暁の顔を見た。 絵を見て、息をのみ、破裂したように大声で泣き出した。 うわぁあああああああ! 千暁は、鈴音をイーゼルの後ろに立たせると、パレットナイフを取り出し、もう乾いたキャンバスの黒を削り出していく。 黒い絵の具の中から、あざやかな色合いが、虹色が、細く細く顔をのぞかせる。 削れ。 削れ。 削り出せ。 決して逃がすな。 対象を捉えろ、この鈴音の爆発を捉えろ。 これは狩猟だ。 獲物を捕まえろ。 生け捕れ。 こんな好戦的な気持ちで絵を描いたのは生まれて初めてだ。
鈴音は絵を見て、「すごい。すごいきれいだと思った。鼻水出てんのに。ひどい顔なのに」と言う。 「モデル料タダにしてあげるから、鼻水消さね?」とも言ったが、「断る」と千暁。
ネタバレになるけれど、『スクラッチ』という題は、この削り出しの技法の名前だった。 泉仙先生が、市郡展が審査なしになって、がっかりしていた千暁に、県展に出展したらどうかと提案する。
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