春風亭一朝の「菊江の仏壇」前半 ― 2023/08/06 07:24
一朝は、黒の絽の着物に茶の帯、黒の羽織で、まずはお断りを、と始めた。 今日は、白ざつまじゃありません、洗い張りに出して間に合わなかったので、お知らせします。 研究会でもやる人のいない噺で、と言ったのだが…。 「菊江の仏壇」、別名「白ざつま」、この会でも柳家さん喬は「白ざつま」、人間国宝になった五街道雲助は「菊江の佛壇」でやっている。
親にとって、子供の苦労が絶えない。 堅過ぎますというのも困るが、柔かければ、また苦労だ。 最初はだれかに連れて行かれる。 若旦那は容子がよくて、いい男。 廓、芸者茶屋は、お金を持って行きさえすれば、面白いように遊ばせてくれる。 骨抜きになるまで、十日もかからない。 それではと、嫁を持たせたけれど、三月持たぬうちに、また外へ出かけるようになる。
番頭さん、倅の茶屋通いには困ったもんだ。 若旦那には困ったもんです。 嫁のお花が、実家(さと)で寝ているというのに、病気見舞いにも行かない。 御新造がお里で寝ているのに、病気のお見舞いにも行かない。 番頭は、わしの真似ばかりしている。
若旦那が、昼日中から酔っぱらって帰って来る。 旦那様が、若旦那は不人情だと、馬鹿なお怒りですよ。 お怒りーーっ、お怒りーーっ……、お父っつあん、大層ご無沙汰しておりまして…。 お前は、お花の見舞いになぜ行かぬ。 病気見舞いは嫌いで。 女房じゃないか、夜泊り、日泊りで遊んでいて。 一人娘なのを、頼み込んで、嫁にもらったんじゃないか。 具合が悪くなって、実家の方が気兼ねがないかと、気養生に里へ帰したが、どっと枕に付いたというじゃないか。 お前は、いったい誰に似たんだ。 「親に似ぬ子は鬼っ子」というが、私など吉原に足を向けたこともない。 お父っつあんは、信心といっちゃあ、門跡様への信心、雨降り嵐でも出かける。 大きな仏壇をこしらえた、人が入れるほどの。 でも、やれ仏壇、それ仏壇、と言っていたのが、三月も持たないで、外へ出かけるように。 まあ、まあ(と番頭が止めに入って)。 二階へ上がって、寝てしまえ。
御新造のお里から、お使いの方が…。 按配が悪いようだ、私が見舞いに行くので、今日ばかりは、倅を外に出さないように。 向こうに泊まることになるだろう。 万事、番頭さんにお任せする。 旦那が出かけると若旦那、番頭さんを男と見込んで頼みがある。 十両、貸してもらいたい。 店の金を、帳面を、筆の先でチョロ、チョロ、チョロと、いつものように。 私は白ねずみと言われています、石橋を叩いて渡る、石橋の上で転んだら痛いけれど。 野暮な。 駄目ですよ、堅くて、野暮は承知の上です。
十日ばかり前の話だ、朝湯のお湯屋が休みで、隣町の湯屋へ行って出てくると、女湯から出てきた女が、小股の切れ上がった、いい女でね、あとを付いて行った。 ここらに入ったという横丁の、奥が突き当たりで井戸があってね、奥から二軒目の左に、清元某とあって、塗の下駄と、世にも間抜けなマナイタのような下駄が並んでいて、その下駄にウチの焼き印があった、気になるね。 番頭、いいから仕事、仕事、算盤をパチパチして…。 井戸端にくちびるの薄い、よくしゃべりそうなおかみさんがいたんで聞くと、さる大店の番頭さんの想い者だというじゃないか。 どこの番頭さんでしょうね。 世間話だと、明舟町の大店の番頭、佐平さんの想い者だと。
お前と同じ名前なんだよ、名前を騙るとは、勘弁ならない、お父っつあんが帰って来たら隣町の話をしようかと思っているんだ。 声が大きい、野暮な。 野暮は承知の上だ。 あの女は、妹の亭主の従兄弟の遠縁に当る者で。 隣町で番頭の名を騙るとはね、はい十両、柳橋へ行って来る、菊江に逢って来る。 あなた、悪いね、菊江さんをここに呼びましょう。 言うことが、派手だね。 ここは、私が仕切らせて頂きます。 清蔵はいるか、菊江さんのところにお使いに行って、駕籠に放り込んで、連れて来てくれ。
春風亭一朝の「菊江の仏壇」後半 ― 2023/08/07 07:06
今日は早仕舞いだ。 今日は私のおごりだ、食べたい物をなんでも言え。 蒸かし芋。 もっといいものを。 今川焼。 清蔵は? シシが食いてえ。 猪は山へ行かなければ獲れないだろう。 角で売ってる、こはだのシシ、まぐろのシシ。 なんだ、刺身も大皿に二つ、三つ、丼物も取って、鍋も囲もう。 酒を飲んで、無礼講だ。 今夜あったことは、見たことも聞いたこともないことにするんだ。
恐れ入ったね、番頭、さすがは清元の……。 この店も、半分はお前の働きだ、お前の才覚で囲っているのは、わかっている。 酒が来た、初めて差しでやろう。 ご返杯を。 若旦那は、なぜ御新造をお嫌いになる。 器量といい、算盤といい、あんな結構な嫁はない、それなのに。 菊江、お花さんに瓜二つというじゃありませんか。 俺は、それがイヤなんだ、お花は何でもできる、痒い所に手が届く。 気づまりでならない。 菊江のそばにいると、心が落ち着く。 女なんだ。 お花には、見透かされているようで。
駕籠が着きました。 庭へ回ってもらえ。 菊江は、頭が洗い髪で、白薩摩、石灯籠のところにすっと立つ、その姿の艶(あで)やかなこと。 なるほど、御新造に瓜二つで。 三味線がある、何かやれ。 番頭、歌を歌え。 ご勘弁を、踊りを踊ります。 弾いてやってくれ。 「茄子とかぼちゃ」を。 奥は、わいわいとたいへんな騒ぎ。 店も「磯節」などで、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。
とんだことになってしまった、ナムマイダブ、ナムマイダブ。 早く、歩きなさい。 どっかで騒いでいる家がある。 主人が、行き届かないんだろう。 あれ、私の店だ。 旦那様のお帰り。 テヤ、テヤ、テヤ、磯ばかりーーッ!
お帰りになりました。 菊江、お前、仏壇の中へ、隠れろ。 人が入れる。 番頭、店の方、なんとかしなさい。 みんな、赤い顔を消して。 鍋は尻の下に隠せ。
お帰りなさいまし。 只今、番頭さん、この騒ぎは何事ですか。 皆も、楽しかったことだろう。 股倉から、湯気が出ているぞ。 倅、話がある。 お花は、死んだよ。 お花が、死にましたか。 今日ぐらい、くやまれたことはない。 お前を引きずってでも連れてくればよかった、と思った。 お花は、謝りながら、しきりに私の後ろばかり見ているんだ。 一日も早く、元気になって、私の所に戻って来ておくれって、他に行っちゃあいけない、と言ったよ。 きっと、と、お花は嬉しそうにうなずいた。 それから医者が脈を取ると、まるで眠るように息を引き取ってしまった。 私は腹の底から、詫びてきた。 それで帰って来たら、この有様だ。 呆れて叱言もいえません。
もう、戻ってる時分に違いない。 仏壇に燈明をあげる。 いいから、そこをどきなさい。 お数珠を出して。 (倅が)向こうの方へ、お数珠は私が下駄箱に仕舞いましたから。 なんで、下駄箱なんだ。 ガラガラ! ナムマイダブ、ナムマイダブ。 おおっ、戻って来たか、わかる、わかる、お前の気持は…。 でも、お花、どうか恨まずに成仏しておくれ、消えておくれ。 私も、消えとうございます。
先輩方の合同句集『風花』を読む ― 2023/08/08 07:00
岩本桂子さん
春愁や飽くほど生きて厭きもせず
九十年変わらぬものに花の散る
老いて尚何かあるごと春を待つ
いそいそといふことのあり春ショール
石山美和子さん
ディンギーの覚束なくも風つかみ
巡業の明荷の上の大団扇
撫子は傘寿の今日の誕生花
津田祥子さん
海山のあはひの町へ虎が雨
見開きの絵本のやうや夏の海
さうめん流し時々さくらんぼも流し
牛百頭取り残されし秋出水
都築華子さん
凌宵花わが青春の春夫の詩
筍をさつくり割りしゾーリンゲン
いつの間に夫も甘党桜餅
田中温子さん
今日ひとひ無事に了へたるはうれん草
うちの子と言ひて朝顔商へる
新涼や席譲られることに慣れ
九十年以上を生きる。「ディンギー」と風。 ― 2023/08/09 06:53
季題は「春愁」、虚子編『新歳時記』増訂版には、「春といふ時節には、誰の心も華やかにうきうきとなる一面、一種の哀愁に誘はれるといつたやうな氣持がする。何となく物憂くて氣が塞ぐのをいふ。」とある。 「飽く」と「厭き」、愛用の(と、いっても、最近はあまり見ないのだが)武部良明さんの、角川小辞典『漢字の用法』を見る。 [飽]物事に十分に満足すること。 [厭]物事を続けて行うのがイヤになること。 <九十年変わらぬものに花の散る>のを見てきた作者は、九十年以上を生きてきたことに、十分に満足しつつ、なお、生きていることがイヤにならない、というのである。 それは、<老いて尚何かあるごと春を待つ>だけでなく、<いそいそといふことのあり春ショール>となるのである。
ディンギーの覚束なくも風つかみ 石山美和子
ぼんやりの私は、石山美和子さんが、渋谷句会はもちろん『夏潮』編集・運営全般でお世話になっている児玉和子さんの姉上だということを知らなかった。 鵠沼のお住まい、お育ち。 「ディンギー」は、キャビンのない小型ヨット。 私は「ディンギー」を知っていた。 石山美和子さんと同年生れの兄が、海洋研究会というクラブに入っていて、葉山の鐙摺や久留和で合宿して、ヨットに乗っていた。 それで高校生だった弟の私をディンギーに乗せて、風上に向ってどう走るのか、タックやジャイブ、風下にランニングだのと、やってみせたのだった。 まさに、「覚束なくも風つかみ」だった。
<撫子は傘寿の今日の誕生花>で、お誕生日は9月4日とわかる。 その5日後に生れた兄は、残念ながら、傘寿にはほど遠く、67歳という若さで亡くなってしまった。
「海山のあはひの町」大磯 ― 2023/08/10 07:07
「虎が雨」陰暦五月二十八日に降る雨。 「虎ヶ涙雨」ともいう。 この日は曾我兄弟が討たれた日で、兄十郎祐成(スケナリ)の愛人であった大磯の遊女虎御前がその死を悼んで流した涙が雨となって降るという伝説に基づく。 大磯は、まさに「海山のあはひの町」である。 明治初期の医者松本順(良順)は、大磯が海水浴・避寒の適地だと説き、この地が日本最初の海水浴場、別荘地になった。 福沢先生が大磯の人々にその恩を忘れるなと「大磯の恩人」という一文を書いて、よく避寒に逗留した旅館松仙閣の主人に渡した。 のちに照ヶ崎の海岸に福沢門下生らの手で松本順頌徳碑が建てられている。 大磯の裏山には、大磯在住の友人に案内されて、高麗神社の高麗山から湘南平に登ったことがあった。 <見開きの絵本のやうや夏の海>はもとより、秦野や伊勢原の広がり、丹沢、箱根から富士山までが、眺められた。
2021年11月28日に慶應志木会・枇杷の会の大磯吟行、鴫立庵二十三代庵主本井英先生の本拠地での句会があった。 鴫立庵は、「湘南」の名の発祥の地でもある。 その時、『夏潮』初期の「季題ばなし」に書いた2011年7月号「海水浴」、2012年6月号「虎ヶ雨」を配らせてもらった(このブログ「小人閑居日記」2021年12月3日、4日で読んで頂ける)。
17年目を迎えた『夏潮』8月号、本井英「主宰近詠」に「虎ヶ雨」が五句プラス一句ある。
虎ヶ雨降り込む闇の底知れず
広重の画をた走るも虎ヶ雨
一庵の聾(ミミシ)ふるまで虎ヶ雨
虎ヶ雨泣いて疲れて寝落ちたり
泣き伝へ語り伝へて虎ヶ雨
虎御前の顔セ白き五月闇
さらには、次の二句もある。
海の町に迫る裏山五月晴
海の町に小さき魚屋五月晴
名古屋場所で入幕を果たした上、10勝5敗で敢闘賞を受賞した湘南乃海は、大磯の魚屋さんの息子だと聞いている。
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