『べらぼう』「空飛ぶ源内」平賀源内は生きている?2025/11/26 07:04

 アメリカ合衆国で独立宣言が発布された1776年7月4日は、日本では安永5年、まさに大河ドラマ『べらぼう 蔦重栄華乃夢噺』で、蔦屋重三郎、田沼意次、平賀源内が活躍した時代だった。 アダム・スミスの『国富論』の刊行も、同じ1776年である。 田沼意次が老中になったのは安永元(1772)年1月だった。

 『べらぼう 蔦重栄華乃夢噺』第44回「空飛ぶ源内」に、『解体新書』の挿絵を描いた小田野直武のことが出て来て、気になった。 駿府生まれの重田貞一(後の十返舎一九。井上芳雄)が蔦屋耕書堂にやってくる。 駿府には田沼意次の領地相良があり、手土産の凧、相良凧は平賀源内の凧であり、源内は相良で匿われ、生きているというのだ。 蔦重が、蘭学者の杉田玄白を訪ねて聞くと、源内に絵を習っていて『解体新書』の挿絵を描いた小田野直武は、源内の死の翌年に不審死を遂げており、源内の逃亡を手助けしたからかも知れないと言う。

 秋田のことなら、朋誠堂喜三二、秋田藩士平沢常富(つねまさ)だと、文をやると、もろこしを土産に江戸へ出て来た。 喜三二(尾美としのり)は、源内は秋田で大きな紙風船を飛ばし、それに乗って蝦夷へ行ったという噂がある、と。 蔦重は、田沼の家臣三浦庄司(原田泰造)や大田南畝(桐谷健太)にも聞き込みをし、源内が描いた西洋画(蘭画)「西洋婦人画」を手に入れる。 蔦重の妻てい(橋本愛)は、もしや絵師になっておられるのでは、と言う。 死産して落ち込んでいたていは、そう思い付いたことで、少し元気を取り戻す。 蔦重は芝居町で源内に似た人物を見かけるが、大奥の大崎(映美くらら)を探す長谷川平蔵(中村隼人)と鉢合わせして、見失ってしまう。 源内は、芝居町に潜んでいるのだろうか。

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