「神在月」の出雲(その1)(その2) ― 2025/11/05 07:14
私は10年ほど前に、出雲について、いろいろ書いていた。 読んでみると、面白かったので、二度にわけて再録する。
「神在月」の出雲(その1)<小人閑居日記 2016.11.12.>
10日の『夏潮』渋谷句会で、兼題の「神無月」の季題研究を発表するために、2011年5月にBSプレミアムで放送された「新日本風土記」「出雲」を見直した。 出雲大社では、拍手は四回打つ慣習だ、奥まで届くように。 (一般の神社は明治に定められた「2礼2拍手1礼」だが、昭和になって縛りが外れ、出雲大社は昔の「2礼4拍手1礼」に戻したそうだ。)
旧暦10月10日夜7時、出雲大社の西、稲佐の浜で神迎祭が行われる。 10月1日にそれぞれの神社を出発した八百万の神々は、海から海蛇に導かれて、やって来る。 神籬(ひもろぎ)という榊の枝に宿った神を、神社まで白い布で隠して(警察消防が容疑者や怪我人をブルーシートで隠すのは、その伝統だろうか)お連れする。 十九社(じゅうくしゃ)という出雲にしかない特別の社が、神々の宿舎だ。 十九の扉がある。 神々は、ここで一週間、泊まり込みで、オオクニヌシ(大国主)と縁結びの会議をする。 江戸期の浮世絵では、男女の名前が書かれた札を結び合わせている。 仕事の縁、農作物と天候の縁なども、結ぶ。
この一週間、出雲の人々は、穏やかな気持で過ごす。 朝早く、浜へ海の水を竹の筒(柄杓)に汲みに来る人がいて、新鮮な水で町の社を清める。 静けさが尊ばれ、一週間、掃除、ピアノ、神棚のある部屋ではテレビの音を控えて、静かに暮らす。 これを「お忌(い)みさん」という。 出雲の人が、一年で一番、神様を身近に感じる時期である。
神話では、高天原の主神アマテラス(天照大神(あまてらすおおみかみ))の弟のスサノオ(素戔嗚尊(すさのおのみこと))が、出雲に降り立つ。 スサノオは八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を得、アマテラスに献じた。 スサノオの子孫が、オオクニヌシ(大国主)で、出雲を豊かな国にする。 アマテラスは、その地を自分の子孫に継がせようとし、「国譲り」の使いを出雲に寄越す。 オオクニヌシの長男、コトシロヌシ(事代主)は温厚で国土献上を父に勧めるが、次男のタケミナカタ(建御名方)は力自慢、断固戦うことを主張、アマテラスの使者と戦う。 タケミナカタは負け、「国譲り」をすることになるが、オオクニヌシはその代り、大きな住居を求める。 「柱は高く太く、板は広く厚く」(『日本書紀』)。 それが出雲大社の壮大な神殿となる。
須佐神社。 伝八岐大蛇の骨を所蔵。 スサノオは乱暴者で、神の国高天原を追われ、出雲に降り立つ。 ここには八つの首を持つ八岐大蛇がいて、娘たちを食う、稲田姫もまもなく差し出されると聞き、結婚を条件に大蛇退治をする。 「八雲立つ 出雲八重垣妻籠(つまず)みに 八重垣作る その八重垣を」 あなたを守って暮す、日本初の神と人との恋物語。 八重垣神社には、鏡の池というパワースポットがあり、浮かべた紙にコインをのせて、早く沈むほど、早く恋が成就するという。
コトシロヌシ(事代主)を祀る美保神社。 12月、「諸手船(もろたぶね)神事」があり、使者が漕ぐ船を、事代主役の宮司が迎え、平安を願う思いを伝える。
祇園社 氷川神社には、タケミナカタ(建御名方)にまつわる神事がある。 10月10日の奉納相撲、アマテラスの使いとの力比べに由来すると伝わる。(つづく)
「神在月」の出雲(その2)<小人閑居日記 2016.11.13.>
奈良時代には、出雲は大和王権の支配下に組み込まれる。 出雲大社の平安時代の設計図「金輪(かなわ)造営図」(千家国造館)に三本を束ねた直径が3メートルの柱が9本あり、長さ100メートルを超える階段があった。 これほどの巨大な神殿をつくれる出雲には、強大な勢力があったことが考えられる。
出雲大社の千家尊祐(せんげ たかまさ)宮司。 千家家は、出雲国造家(出雲では「くにのみやつこ」を昔から「こくそう」と読み習わして来た)で84代、天皇家につぐ古い家系、アマテラスの第二子・天穂日命(あめのほひのみこと)の子孫と伝えられる。 (子息の千家国麿氏と高円宮家二女典子女王が2014年10月5日出雲大社で結婚。国麿氏は出雲大社権宮司。) 神様に直接願い事を告げられるのは宮司だけ。 世の中の平安と、天皇家の繁栄を、日々祈り続けているという。
祝詞「八雲立つ出雲の国の青垣山内(やまうち)に 底津磐根に宮柱太く立て 高天原に千木(ちぎ)高しにて鎮まります かけまくもかしこき天の下造らしし 大国主の大神の大御前に 国造恐(かしこ)み恐みまおさく」。
出雲大社では、60年に一度、遷宮が行われる。 「平成の大遷宮」が平成20(2008)年4月から28年3月まで行われた。 平成20年4月、ご神体を移す仮遷宮があり、本殿を修繕して、平成25(2013)年本殿に戻した。 本殿、天井には270年前江戸期に描かれた八雲之図(七つの雲の絵、完成させないという縁起をかつぐ)、心御柱(しんのみはしら)つまり大黒柱があり、南向きの正面は壁になっていて、その裏に御神座が西を向いてある。 西は海の方向、オオクニヌシの世界、常世の国がある、と考えられている。
8月、夕日を祀る神事がある。 島根半島の西端、日御碕(ひのみさき)神社(千家尊祐夫人の家は、ここの宮司)。 かつてアマテラスを祀る本殿があった島に(普段は人が入れない)、宮司が渡り、夕日に祈りを捧げる。
佐太神社。 旧暦10月、この神社では神様のためのデザートが供される。 『雲陽記』(1717年)に、神在餅(じんざいもち)の記述がある。 搗き立ての餅に焦げ目をつけて、砂糖を入れた小豆と煮込む。 上に縁起物の鰹節をのせる。 出雲大社の方向に向けて供える。 縁結びの会議が終える頃にお供えするしきたり。 神在餅が、ぜんざいになった。
旧暦10月17日、十九社では、去り行く神々をねぎらう感謝の祝詞が上げられる。 「お立ち」の声とともに、社の扉を三度叩く。 神々はそれぞれの国許へと帰る。
11月、献穀祭。 出雲大社に、収穫された米を捧げる。 その晩、「おじゃれもー」と、神を迎える言葉が響き、古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)、作物を神に捧げ、宮司が共に食事をとる神事が執り行われる(年に70ある祀りの最も厳粛なものだそうで、中には入れず外から撮影した映像。天皇の宮中祭祀を思わせた)。 一年間、神に仕えてきた宮司の力は、秋の日差しが傾くとともに衰えて来る。 神と共に食事をとることで、宮司は力を取り戻す。 そして神聖な石を噛む、歯を固めることは長寿につながる。 榊の小枝を手に、神に向って舞う。 神への感謝、勤労の約束をこめた歌「皇神(すめらみ)をよき日に祭りし明日よりはあけの衣をけ衣にせん」、実りに感謝するこの祭が終われば、明日からは普段着に戻り、懸命に働こう。
たたら製鉄。 奥出雲の木炭と、この地の良質の砂鉄。 三日三晩、燃やし続けると、玉鋼(たまはがね)に生まれ変わる。 職人、木原明さん。 炎の色が山吹色になるのを見極めると、10トンの砂鉄から1トンの鉧(けら)が取れる。 八岐大蛇伝説は、古代の権力者が、斐伊川上流にいた鋼づくりの技術を持つ人々を服従させた歴史かもしれない(ジブリのアニメ映画、宮崎駿監督の『もののけ姫』は、これを扱ったのだろう)。 スサノオが退治した大蛇から取り出したのは剣、天皇家を守る三種の神器の一つ天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)として、後の世に伝えられていくことになる。
最近のコメント