雲助の「汲みたて」 ― 2007/07/01 07:46
「汲みたて」、よく聴く噺のように思って、<小人閑居日記>の「落語」をざ っと見てみたら、2004年2月13日の東京落語会で亡くなった桂文朝のが出て きたきりだった。 文朝ならではのブラックなくすぐりを、たっぷり楽しめた、 とあった。
稽古屋の美人のおっ師匠さんを張っている、転んだら食おうというような「狼 連」の弟子連中の噺だ。 ところが建具屋の半公が師匠といい仲になったらし く、手伝いに住み込んだ与太郎の情報では、夜中に蚊帳の中で取っ組み合いを しているという。 いい着物を着て出かける与太郎をつかまえて話を聞くと、三 人で屋根舟で涼みに出る、ウゾウムゾウには内緒だという。 怒った「狼」連 中も屋根のない暑い舟を出し、馬鹿囃子の鳴り物を用意して、邪魔を入れる。
雲助、人情噺の時と打って変って、というか、楽しそうに演じてみせた。 い かつい男が三味線をかかえたところを「鬼がシュロ箒」を持ったようだとか。 湯上りで洗い髪の師匠が立膝をする、着物の前が割れて、腰巻がちらりと見え たやつを、ふーふー吹いていて、撥で頭を叩かれた。 まいった、といった。 御開帳を、ただで拝もうと思ったら、罰が当たった。 そんなところを、こち らの好みもあるが、楽しく聴かせた。
志の輔「死神」のマクラ ― 2007/07/02 06:40
で、志の輔の「死神」である。 サッカーくじで6億円が二本出て、お忙し い中、よくいらっしゃいました、と。 当たった人は人生が狂うだろう。 狂 ってもいいから、当たりたい。 自分は運がいいと思っているか、運が悪いと 思っているか、アンケートをとると、87%が運が悪い方だと答える。 13%は 運がいいと思っているのだ。 いやな奴、友達に持ちたくないタイプだ。
寝坊をした。 目覚ましに八つ当たりして、突き指をした。 駅へ着いたら、 定期を忘れていた。 財布には1万円札しかなかった。 自販機は1万円札を 吸わないタイプだった。 売店で週刊誌を買う。 電車に乗って、週刊誌をめ くると、昨日読み終えたやつだった。 棚に乗せると、落ちてきて、座ってい る恐いオニイサンの頭に当たり、なんだよう。 ようやく会社に着くと、いつ もは遅い部長が来ていて、山田君、重役出勤だね、と言われる。 トイレに立 った隣の奴の電話に出ると、苦情の電話でくどくどと文句を言われ、ひたすら 謝る。 帰りがけに女の子を食事に誘うと、一発で断わられ、しかたなく焼き 鳥屋に寄り、砂肝を噛んだら、歯が折れた。 家の近くまで帰って来たら、家 が火事で、ズボンの後ろのポケットに手をやると、定期券が入っていた。
志の輔は、その逆バージョン、快諾した女の子と六本木のルー・ジャポンで 食事をし、今夜は帰りたくないというから、ホテルへ行けば、当ホテル千人目 のお客さんでハワイ旅行にご招待というのもやって笑わせ、運のメカニズムを 知りたいと、「死神」に入る。
志の輔の「死神」と“運” ― 2007/07/03 08:10
志の輔は「死神」を「とにかく陽気に、落語らしくやりたかった」と、長井 好弘さんに語っている(プログラム)。 そこでローソクの火も、“寿命”じゃ なくて“運”としてみた。 それで昨日の長い長い“運”のマクラを振り、当 <日記>も二日にわたることになってしまった。 そういえば、死神もあまり 恐くない死神だったし、最後に入る洞窟もそんなには暗くない場所だった。
どうにもならない借金を苦に、死のうとしている源兵衛のところに、やって 来た死神は、死ぬのを止めに来た、という。 “運”が残っている、お前は今 まで“運”をあまり使っていない、使い切ってから死んだらどうだ、と。 病 人の足元に死神が座っていれば、その病人は助かると、教えてくれた呪文は「チ チンブイブイ ダイジョウブイ(だいたいVサインをする)テケレッツのパ」、 手を二つ叩く。 「私が医者です」という看板を出した源兵衛、大成功、大評 判となり、使い切れない金をつかむ。 女を連れて、京都に物見遊山に行くが、 女は金からなにから全てを持って、いなくなる。 「私が再び医者です」と板 に書いて出し、京都で学会があったと言訳をする。 だが、診る病人、診る病 人、みんな死神が枕元に座っている。 再び借金の山。 一計を案じ、奇策を 弄した源兵衛は、“運”を使い切ってしまった。 最初の死神が現れ、落ちへと 進む。 それは書かない。 どうしても知りたい人には、メールで。
気がつけば、いつもの終演時間を20分もオーバーしていた。 それだけ引 き込まれて聴いていたことになる。 いつもの電車に乗っていたら、酔っ払い にからまれた上、スリにあっていたに違いない。
「明治維新」の要因は何か、その序論 ― 2007/07/04 06:43
5月31日の予定だったのだが、例の「はしか」騒ぎで延期になっていた福澤 研究センターの講演会が、6月21日に三田の演説館であった。 渡辺浩東京大 学法学部教授の「「明治維新」と福澤諭吉」だった。 「明治維新」とは?、と いうところから話は始まった。 明治の人が「瓦解」とか、「夢」(今が現実な ら、江戸の昔は夢)といったように、その変革は徹底的であった。 世の中が まったく変わってしまった。 革命と呼んでもよい。 反動勢力もなく、鮮や かな決着だった。 だがそれは、一般の人々のあずかり知らぬ、武士身分と少 数の公家だけの改革、社会の表層だけの政治闘争によるものだった。 知って いる同士の説得、脅迫で事は進み、激しいようで陰湿なものだった。 表層で 事が成ると、急進的な上からの変革が可能で、東京から山奥まで三千万人に浸 透していった。 それが今日の日本のありようにまで関係している。
どのような革命だったのか、何が決定的な要因だったのか。 ブルジョア革 命か、絶対主義体制への移行か、といった論争には、意味がなくなった。 フ ランス革命にしても、ブルジョア革命ではないという説が今では常識となって きた。 マルクス主義による歴史観が力を失った今、あらためて「明治維新」 を考えてみるのも意味があるだろう、というのが、その序論だった。
これを聴いて、なるほど、そういう状況なんだ、と改めて思った。 試みに、 『広辞苑』で「ブルジョア革命」を引くと「フランス大革命をはじめロシアの 二月革命など」と、まだ書いてあった。 床屋で『産経新聞』(3日朝刊)の「や ばいぞ日本」没落がはじまった、という特集を読んだら、10年後に中国の学生 がマルクス経済学を勉強しようと思ったら、日本の大学に行くしかない、と言 っている人を紹介し、こう書いてあった。 「“現役”の社会主義国にあっても、 元祖マルクスはとうに死んでしまったのだ。いつまでもマルクスとその親戚筋 の容共リベラルに縛られるような国は、ジワジワと社会の劣化が進む。いま、 「日本の没落」を食い止めないと、日本の未来は描けなくなる。」
渡辺浩教授が消去した説 ― 2007/07/05 07:11
渡辺浩東大教授は「明治維新」の要因に関する説を一つ一つ検討する。
まず「尊王攘夷」。 この考え方は水戸学で生まれた。 徳川光圀、藤田幽谷、 その子藤田東湖。 渡辺教授は、「尊王攘夷」論は単なる表面の口実であって、 そもそも「王政復古」などしたか、天下を取ったら新政府は開国をそのまま引 き継ぐ急転回を見せたではないか、という。
つぎは「ナショナリズム」。 三谷博『明治維新とナショナリズム:幕末の外 交と政治変動』(山川出版社・1997年)は、明治維新をナショナリズムの革命 だとして、「日本列島の住民は、「日本」という国家を、公共秩序中もっとも重 要な存在と認知し、これを西洋の支配から守るため、政治秩序、ついで社会秩 序の大幅な改変に取りかかったのである」とした。 渡辺教授は、諸外国は薪 水食料や通商を求めてきたのであって、植民地化や独立の危機はなかった、と いう。 攘夷論は過剰反応だった。 貿易が独立の危機かといえば、日本にと って大幅な黒字だった。 力を背景に不平等条約を押し付けられたというが、 そもそも不平等か。 領事裁判権は、こちらからは外国へ出て行かないのだか ら、外国でのことを想定していない。 明治になって、前提条件が変わって、 不平等になった。 関税自主権も、たしかに不平等だが、日本経済にどれだけ 不利かは、疑わしい。 日本国民にとっては、幸いだったかもしれない、とい う。
三つ目は「割り込み」説。 格式は高かったけれど、それまで政治から疎外 されていた勢力が、政権への「割り込み」を謀った権力闘争だったというのだ。 その勢力とは、徳川御三家(とくに水戸家)、外様大大名(薩長)、禁裏。 渡 辺教授は、説得力はある説だが、どうしても説明できないことがある、それは 藩と武士身分を解体したことだ、という。
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