河合重子著『謎解き徳川慶喜』2007/07/13 07:10

 8日の朝日新聞の読書欄で、文芸評論家の野口武彦さんが、河合重子著『謎 解き徳川慶喜―なぜ大坂城を脱出したのか』(草思社)を紹介していた。 「み ずから「慶喜贔屓(びいき)」と名乗り、「ずっと慶喜のことをしらべ、彼ひと りを見まもりつづけてきた」慶喜ウオッチャーの筆になる評伝である」という のを読んで、ピンと来た。 ついに本になったのだ。 前に「等々力短信」に 書いたのを、全文引く。

江戸の深味 <等々力短信 第855号 1999.9.25.>

 河合重子さんは、八王子八日町の目抜き通りにある、履物屋さんのご主人で ある。 白髪の、おとなしそうな方だ。 「こんな着物には、どんな履物が合 うだろうか」とでもきけば、じっくりと相談に乗ってくれるにちがいない。  安政年間の創業というから、大変な老舗だが、この時代に履物屋さんという商 売を維持するのには、いろいろとご苦労があろうかと思われる。 そんなとこ ろはつゆも見せずに、河合さんがお店で働いている姿を、NHKテレビの司馬 遼太郎『街道をゆく』「甲州街道」は映した。

 司馬さんと河合さんを結んだのは、徳川慶喜である。 河合さんは八王子の 東京府立第四高等女学校の一年生の時、学芸会で上級生たちの演じる真山青果 の「将軍江戸を去る」を見た。 高橋伊勢守にむかって「三年この方、第十五 代の将軍職にすわって、慶喜の苦労、そちゃ気の毒とは思わぬか」という慶喜 のセリフにびっくりする。 自分が大政奉還のほかなにごとも知らなかったこ とを思い「とてもこうしちゃいられない」と思ったという。 毎日古本屋を歩 き、慶喜について調べるため上野の図書館へゆくと、受付の老人は河合さんが あまりに子供っぽい顔をしているので「ここは子供のくる所じゃない」と、追 い返してしまった。 失望して谷中へゆき、慶喜の墓をさがしたが、少女の才 覚では探す工夫がつかず、一日歩き回って、ついに八王子に帰った。 昭和 19年春、河合重子さんは、慶喜を調べるというただひとつの目的のために、 東京女子大国史科に入る。 だが図書館に幕末関係の書物がほとんどなくて、 がっかりした。

 司馬遼太郎さんは、図書館の司書で徳川慶喜に詳しい比屋根かをるさんを通 じて、河合さんを知る。 河合さんから分厚い手紙をもらい「もはや『慶喜 学』というべきその精度の高い知識におどろくとともに、文章のたしかさにも 驚いた。 Kさんの面白さはこれだけの文章力をもちながら、一度も慶喜につ いての自分の考えや研究を活字にしたことがないのである。 文明の土壌とい うのはそういう“奇人”がさりげなく出てしかも世間に知られることがなく、 町の人から単におだやかな履物店の女主人だと思われつづけているということ である」「日本にもそのような、つまりいかなる名利にもつながらない精神活 動を生涯持続するという人が出てきているということにおどろき、こういう精 神を生んだものが江戸文明であるとすれば、江戸の深味というものは存外なも のかもしれないとおもったりした」