漱石による「独立」した「個人」 ― 2007/07/18 07:02
ついで、グエン・ティ・ハイン・トウックさんは、夏目漱石の個人観を考察 する。 漱石の「個人」は、個性をもってindividualを成し、または独自の発 展で独立するindividualになる。 それはまた、人間全体を代表するものであ ると同時に、自己を代表するものでなければならない、とする。 漱石のいう 「個人」は、二通りの属性、すなわち社会的側面と精神的側面を持っている。 前者は人類社会への所属の要望(人を模倣(真似)する傾向)で、後者は自己 独自の風格や感受性による独立し創造的な自己表現への要望である。
漱石の「独立」を、その著書からみてみる。 『道楽と職業』で、漱石は職 業は「人の為にする」ものだが(結果として「己れの為にする」ことにもなる が)、道楽は「己れの為にする」ことである。 芸術家、科学者、哲学者の立場 から、道楽の精神によって「己」本位にしなければ作物が物にならないといい、 そうした精神態度を勧めた。
『現代日本の開化』では、人間の精神活動を二種類に分けて考えた。 外界 の刺激に対する反応として、進んでやる「活力消耗の傾向」と、そうでない「活 力節約の動向」である。 漱石によれば、「活力節約の動向」は当代日本の開化 の傾向のあらわれであり、当時の日本人の活動は、人の内部欲求の必要からな されたものでなく、むしろ外部からの影響下(外圧)で無意識的に動かされた だけなので、人々は不安や空虚感を抱えざるを得なくなるとする。 そして漱 石は、「日本本位」という自分たちの発展の自律性を意識し、出来る範囲で「内 発的に変化していく」ようにと人びとに勧めた。
『私の個人主義』で、困難に直面した時「私は始めて文学とは何んなもので あるか、その概念を根本的に自力で作り上げるより外に、私を救ふ途はないの だと悟つたのです」といい、「自己本位」の探究をし、彼にとっての「独立」の 道を求めていこうとした。 独立に生きるとは、他人のいうことを「鵜呑み」 にせず、「機械的の知識」を受容しないことである。 むしろ「自己本位」に立 って、積極的かつ意欲的に活躍していかなければならないことでもある。
最近のコメント