これが福沢・温泉保養の初体験 ― 2011/06/04 06:55
それから『福澤諭吉書簡集』の、その当時の書簡を見てみた。 何と、明治 3年10月22日付の、阿部泰蔵宛書簡があるではないか。 しかも書簡の大意 に【熱海温泉滞在中の世話を謝し、島原藩屋敷地取得交渉の進展、普仏戦争に ついて感想など伝える】とある。 手紙には「入湯中ハ長々御約介罷成難有奉 存候。三島ニテ御別れ申、私共ハ其日湯本ヘ参り両日滞留」とある。 注記を 読むと、阿部はこの時帰省の途中であったが、熱海温泉で福沢と二週間同宿し、 『阿部泰蔵一代記』に記事があるという。 『阿部泰蔵一代記』、インターネッ トでKOSMOSを検索したら、三田の図書館旧館の地下1階にあることがわか ったが、まだ見ていない。 その後、『福澤諭吉全集』第21巻の「書簡集補遺」 にある上の10月22日付書簡の注記に、その記事の引用があるのを見つけた。
参考文献に富田正文著『考証 福澤諭吉』上があったので、参照する。 337 頁「家族六人と主治医の一人近藤良薫を伴い」、「東京を二日おくれて出発した 門下生阿部泰蔵と甲賀信夫も同宿し、帰途三島で阿部と別れ、箱根を下駄ばき 徒歩で越し、塔ノ沢、湯本に湯治し、更に江ノ島、鎌倉をまわり、金沢に一泊、 横浜に三泊し、十月十日に帰京した。」「この熱海・箱根の湯治が、諭吉の温泉 保養の初体験で、その後はしばしば箱根を訪れ、福住喜平治とも懇意となり、 温泉地開発の相談にも乗り、旅館経営の経済的援助にも力を貸すほど親密にな ったが、この時より前には、温泉に逗留したことはなかったもののようである。」 ということがわかったが、残念ながら、熱海の旅館の名前は判らなかった。
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