鈴木敏夫さん、プロデューサーの仕事 ― 2011/09/04 05:33
高畑勲(パクさん)は、紅花のことを調べると本を書いてしまうほど、とこと ん研究するリアリズムに徹する人であり、具体的で素人にもわかりやすいやり 方でプロデューサーの仕事を進める。 鈴木敏夫さんは、監督(作り手)の味方 になるその手法、プロデューサー学を高畑勲に学んだという。 宮崎駿(宮さん)は、いい大人なのに、もう子どもみたいに純粋な人で、問題 が起こると、結局、もっともまじめな方向で決断する。 作品の登場人物には たいがいモデルがいる。 スタジオの新人や来客で、ちょっと不思議な感じの 人や面白そうな人に興味を持つ。 好奇心旺盛で、人間が好き、「知りたい」と いう欲求がとても強い。 物語に入り込んで、その人物になりきっちゃう。 お互いに信頼はするが、尊敬はしない。 尊敬しないことで、遠慮会釈なく 存分に言い合うことが出来、仕事が成立する、と鈴木さんは言う。
1984(昭和59)年の『風の谷のナウシカ』の成功で、翌年のスタジオジブリの 設立に進む。 それまでジブリは徳間グループの一事業部の名称だったのを、 買い取って独立する。 しかし1986(昭和61)年の『天空の城ラピュタ』の後、 1988(昭和63)年の高畑勲監督『火垂るの墓』・宮崎駿監督『となりのトトロ』 の二本立は、観客動員数が『ナウシカ』の半分の45万人になってしまう。 鈴 木敏夫さんは、この時から宣伝をまじめに考え出したという。 何よりもまず タイトル。 宮崎駿が考えたタイトルで一番すごいのは『紅の豚』、糸井重里さ んに見せたら「鈴木さん、これ以上のコピーはないよ」と言ったそうだ。 『仕 事道楽 スタジオジブリの現場』に図版がいっぱい入っているのだが、鈴木さん はポスターなどの絵も字も書く。 一昨日(2日)の夕刊の『コクリコ坂から』 の広告、「ロングラン決定!」の字は、明らかに鈴木さんの字だ。
タイトルをどう広めるか、「特別協賛」が課題になる。 ジブリの場合、製作 費出資が関わらない、宣伝協力・共同広告に限っている。 「特別協賛」と銘 打った「タイアップ」である。 ジブリ作品を応援しているということでイメ ージアップにつながる。 これで日本テレビなどとの協力関係が生まれた。 本 格的に宣伝に取り組んだ『魔女の宅急便』(1989(平成元)年7月)は、観客動員 数を大幅に更新し、大成功をおさめる。 夏に公開して親子を大動員し、作品 の完成度の高さを強調して若い女性層を獲得しないと、大ヒットは望めない。
『となりのトトロ』が大人気を得るのは、金曜ロードショーでのテレビ放映 からだった。 トトロのぬいぐるみは、テレビ放映のあと、映画封切二年後ぐ らいに、初めて登場し、その著作権使用料は大いにジブリを潤し、封切時には 成績の芳しくなかった『トトロ』が、今では最も収益をあげた映画になった。 その後、ジブリはキャラクター商品部を設ける。
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