加藤秀俊さんの「正論」、日本人の造語力2011/09/08 05:54

販売促進のためだろう、ときどき産経新聞が入ってくる。 めったに見ない のだが、8月29日の朝刊をたまたま開いたら、加藤秀俊さんの「正論」があっ て、ありがたく読ませてもらった。 加藤秀俊さんは、若い頃から、愛読して きた。 最近は『常識人の作法』(講談社)を読んで、1930年生れの、歯に衣着 せぬ物言いにびっくりした。

 「正論」は「嗚呼、落ちた日本人の造語力よ」である。 「嗚呼」は、言う までもないが「ああ」と読む。 原発事故で政府高官などが、「モニタリング・ ポスト」を始め「ベント」「トレンチ」「ストレス・テスト」を連発した。 各 地に配置された「観測装置」、「排気」か「換気」、「暗渠」、「耐久試験」といえ ばいいではないか、バカもいいかげんにしなさい、というのである。 夏目漱 石がむかし「むやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男がごろごろ」 していた時代があった、と回顧したのは大正3年。 おそらく漱石の念頭にあ ったのは、坪内逍遥が『当世書生気質』で戯画化した明治の学生たちのことだ ったろう、という。 加藤さんは、政治家のカタカナ好きは「当世書生気質」 なのだろうかとしつつ、それだけではあるまい、と言う。 エライさんたちは、 記者会見する担当省庁や電力会社の人たちとおなじく、原発関係者の仲間うち だけで通用する業界用語を借用しているだけなのではないか。 やくざ社会で、 たとえば駅を「ハコバ」、指を「エンコ」、寿司を「ヤスケ」、しごとを「ゴト」 などというように、ご同業仲間だけに通じる隠語として…。 加藤さんは、そ の隠語を政治家や官僚がそのまま借用して、われら民衆に解説なさるのはまこ とに迷惑である。 かれらは「業界」を批判しているようで、いつのまにやら、 その仲間にひきこまれてしまったのである、と言う。

最後の部分は、わが意を得たので、そっくり引用する。 「学者先生のなかには、どうも日本語では表現できなくて、などとおっしゃ るかたがおられるが、あれは知ったかぶりの大ウソである。たいていのことは 日本語で表現できるのである。福澤諭吉、西周など明治の先人たちは「哲学」 「経済」「主義」「社会」その他もろもろの造語をもふくめて外国語を日本語に するための努力をかさねた。なにが「ストレス・テスト」なものか。わたしの 心は憤怒の「ストレス」をうけたのであった。」