国防総省ベトナム秘密報告書事件 ― 2012/04/15 03:26
1970年代の初め、アメリカでも政府対新聞の問題で、大きな事件が続いた。 まず1971年6月13日から、『ニューヨーク・タイムズ』が、国防総省のベ トナム戦争深刻化の要因、経過などを研究した秘密文書を暴いた「ペンタゴン・ ペーパーズ」事件。
入手の前に、ニール・シーハン記者は長老のジェームズ・レストン記者に相 談した。 「これが出ると新聞は政府から激しい攻撃を受けます。この文書は 爆弾です」。 二週間後、ワシントン支局のエレベーターで乗り合わせたレスト ン記者は、何気ない口調で言った。 「若いの、許可は得た。やりたまえ」
3月、シーハン記者が、国防総省から密かに持ち出された極秘文書のコピー を入手した。 48巻7,000ページにわたる文書は、マクナマラ元国防長官が指 示して作らせた対ベトナム政策の詳細な報告書だった。 十年近くベトナム戦 争を取材したシーハン記者には、文書の重みがすぐわかった。 だれがベトナ ムへの介入を決めたのか、政府がいかに虚偽の操作をしたのか。 政策決定の 過程が公電や部外秘の公文書によって、克明に綴られていた。
掲載の2カ月前、タイムズ本社で首脳会議が開かれ、約30人の幹部を前に シーハン記者が説明した。 作業は急がねばならない。 もし政府が察知すれ ば、FBI(連邦捜査局)が掲載前に文書を押収するのは、明らかだ。 掲載さ れなければ、国民が、その重要性をまったく知らないまま、文書は闇に葬られ る。 いったん掲載されれば、真実を知ろうとする声が、公開への圧力となる。 編集発行責任者のアーサー・サルツバーガー社主は、法律顧問の弁護士に「機 密漏洩で投獄されるだろう。裁判になっても弁護はできない」といわれたが、 「そんなことを弁護士にいわれたのは初めてだった。だが何度も要約資料を読 むにつれて、これは歴史文書だが機密ではない、と確信を強めた」と、最終判 断を下す。
6月13日の日曜日、大筋を特集、続き物で解説を開始した。 司法省は14 日夜、同紙に対し秘密文書の公開中止を申し入れた。 同紙が掲載中止を拒否 したところ、政府はニューヨーク市の連邦地方裁判所に記事の差し止めを申し 立て、15日午後、19日までの掲載一時中止の仮処分命令が出た。 18日『ワ シントンポスト』が別途入手した文書の報道を開始する。 政府と両紙の対立 は、連邦最高裁まで持ち込まれ、6月30日、最高裁は6対3で新聞に軍配を上 げ、掲載が再開された。
ニクソン大統領は6月23日秘密報告の全文を議会に報告すると声明、その 後「インドシナ介入経過報告書」が発表された。 司法省は、自ら世間に名乗 り出たマサチューセッツ工科大学のダニエル・エルズバーグ博士を秘密文書提 供者として逮捕、起訴した。 だが、タイムズも、シーハン氏も、取材源が彼 であると認めたことはない。 「彼は彼。われわれにはわれわれのルールがあ る」からだという。
タイムズ紙は、この報道でピュリツァー賞を得て評価を高めた。 ニクソン 政権は、この文書報道による世論の盛り上がりに押されて、ベトナム戦争を終 結させたといわれる。 (主として、朝日新聞社会部著『権力報道』朝日新聞社1993を参考にした。)
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