阿川弘之さんの『米内光政』執筆動機 ― 2014/08/13 06:24
仲間内の情報交流会で、先の大戦末期、山本五十六戦死の報復に、巨大潜水 艦に特殊な飛行機を積んで、パナマ運河を爆破する計画があり、それが練られ たのが慶應義塾の日吉キャンパスにあった連合艦隊司令部だったという話を聴 いてきた。 その話は後で書きたいが、たまたま雑誌『サライ』9月号のクロ スワードパズル「難航・十字語判断」に、「昭和15年、首相就任。日独伊三国 同盟に反対し陸軍と対立して辞職。太平洋戦争終結や海軍解体に努力した」を カギにした7語の問題が出ていた。 「ヨナイミツマサ」、米内光政である。 昔、阿川弘之さんの本を読んで、「等々力短信」に書いたことを思い出して、探 したら、まだハガキ時代に3回に分けて書いていた。 まず、それを紹介した い。
等々力短信 第246号 1982(昭和57)年3月25日
ギクッときて知る親の痛。 「ひとが痛い時、笑うからだ」と言う父ゆずり のぎっくり腰で動けなくなり、積んどく本の阿川弘之『米内光政』を読む。
盛岡にある米内の銅像には「昭和二十年八月太平洋戦争の終結に際し米内海 軍大臣が一貫不動 平和の 聖断を奉じて克(よ)くわが国土と生民をその壊 滅寸前に護ったことは永く日本国民の忘れてはならぬところである」という小 泉信三さんの碑文がみられる。 私などは、小泉さんの「米内光政」という文 章に出会うまで、ヨナイという読み方も知らなかった。
兵学校の席次(ハンモック・ナンバー)125人中68番、無口、鈍重、「グズ 政」といわれた米内光政が、「あのいくさで日本本土が戦場にならず、国が分割 もされず、私どもが今安穏に暮していられるのに、果した役割をきれいに忘れ ていいのか」というのが阿川さんの執筆動機である。
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