ハングルが氾濫している韓国と漢字の関係史2014/08/29 06:39

 水村美苗さんは、ハングルが氾濫している韓国で、今さら日本の小説家が、 一緒に漢字文化圏に踏みとどまって下さいと言っても、もう遅すぎますか?  と問う。 唯一韓国だけが日本と似た形で漢字文化圏に止まり得る、というよ り、韓国が漢字文化圏に止まって初めて「漢字文化圏」なるものが成立しうる。  その事実が、韓国旅行で急にありありと見えてきた。 「環中国圏」という、 広域にわたる、新しい、馴染みの薄い関係にいざ入らねばならなくなったとき、 「漢字文化圏」という、いにしえの縁(えにし)が、突然、無性に大切になっ てきたのである、という。

 水村さんは韓国を発つ寸前、「公文書はハングルしか認めない韓国では漢字ブ ームが起きているという」と書かれた日本経済新聞の記事(2004年10月23 日)を読んだ。 だが、ソウルで一番大きな本屋という教保文庫で、英語の本 の売場の隣にかなり広い日本語の本の売場はあるが、あとはハングルの洪水だ。  奥に学術書を集めたと思われる売場があり、ハングルの題の本に混ざって、『民 法學論』『商法』『經濟學原論』『西洋哲學史』『韓國文學概觀』などという古め かしい漢字の題の本が並んでいる。 中を開けば、章の見出しに辛うじて漢字 がつかわれているだけで、中身はハングルであった。

 水村さんの世代は、ハングルに漢字が混ざった韓国語を記憶しているという。  だが実はあの表記法は、日本の植民地時代の名残りである。 中華文明の強い 影響下にあった朝鮮では、近代以前は書物といえばほとんど漢文で書かれてい た。 15世紀に自国語を表記する表音文字として創られた「訓民正音」(のち のハングル)は、無教養な人のもの、女子供もの――すなわち、漢字を知らな い人のものに止まり、それに漢字を混ぜて使われることはなかったからである。  漢文と自国語という二本立ての書き言葉があったのは日本と同じだが、朝鮮で は、文化を担う文章はあくまで漢文であった。 日本の植民地時代は、漢文と ハングルの地位が逆転した時代である。 国民国家の言葉としてハングルで書 かれた文章が初めて文化を担うようになった。 そして、日本語と同様、漢字 を混ぜて使ったりするようにもなったのである。

 問題は独立後である。 朝鮮人はハングルのみを選び、いつのまにか漢字と は縁を切ってしまった。 北朝鮮は漢字を全面的に排除したし、韓国でも、中 学校から漢字漢文を学ぶとはいえ、日常生活からは漢字をどんどん排除してい った。 二千年来自国の文化の中心にあった漢字を進んで捨てていってしまっ たのである。