「巡礼の道 スペイン縦断1500キロ」2023/09/04 07:11

 BSプレミアム朝ドラ『らんまん』の後の15分番組、「ユーロヴェロEV7の自転車旅」の次には、「聖なる巡礼路を行く」II「巡礼の道 スペイン縦断1500キロ」になった。 サンティアゴ・デ・コンテスポーラを目指す「巡礼の道」だが、よく知られたフランスからピレネー山脈を越えて、スペインの北部を横断する道ではなく、地中海沿岸のアルメリアから出発して、「モサラベの道」グラナダ、コルドバを通り、シェラモレナ山脈を越えて、「銀の道」小ローマといわれるメリダ、エストレマドゥーラ州の厳しい不毛の大地を行き、サラマンカ、サモーラを通ってアストルガでフランスからの道と合流し、レオンに達する「巡礼の道」である。

 サンティアゴ・デ・コンテスポーラ大聖堂の地下には、聖人ヤコブの亡骸が葬られている銀色に輝く棺がある。 番組では、スペインで布教活動をし、それが広がるのを恐れたユダヤ王に殺された、と言っていた。 伝説によれば、イエスの十二使徒の一人である聖ヤコブがエルサレムで殉教したあと、その遺骸はガリシアまで運ばれて埋葬されたとされる。 813年、現在のサンティアゴ・デ・コンテスポーラで、隠者ペラギウスは天使のお告げによりヤコブの墓があることを知らされ、星の光に導かれて司教と信者(羊飼い)がヤコブの墓を発見したとされる。 「サンティアゴ」は聖ヤコブ、「コンテスポーラ」は星降る野原のこと。 これを記念して墓の上に大聖堂が建てられた。

 サンティアゴ・デ・コンテスポーラへの巡礼の記録は、951年のものが最古で、11世紀にはヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まり、最盛期の12世紀には年間50万人を数えたという。 こうした巡礼の広がりは、中世ヨーロッパで盛んだった聖遺物崇拝によるところが大きいとされる。 番組でも、巡礼路の終盤近くの古都オビエドのサン・サルバドール大聖堂で聖遺物の一つ、聖なる救世主、処刑されたキリストの頭を覆っていた血の付いた布、スダリオ(聖骸布)が公開され、スダリオが収められた額に沢山の人が手や布で触れる。 それで自分や家族などの患部に触れると治るという信仰を集めていた。

 「聖なる巡礼路を行く」IIの特色は、レコンキスタ(国土回復運動)との関連が随所に出てくることである。 レコンキスタは、キリスト教徒が、711年イベリア半島に侵入したイスラム勢力を駆逐するために行なった運動で、722年に始まり、1492年グラナダ陥落で完了した。 この運動の過程で、ポルトガル・スペイン両王国が成立した。 聖地巡礼は、レコンキスタとも連動した。 ヤコブはレオン王国などキリスト教国の守護聖人と見なされ、「Santiago matamoros」(ムーア人殺しのヤコブ)と呼ばれるようになった。 キリスト教国の兵士は戦場で「サンティアゴ!」と叫びながら突撃したという。 キリスト教国の諸王は巡礼路の整備や巡礼者の保護に努めた。