加藤秀俊さんの寒中見舞状から2023/11/09 07:03

 加藤秀俊さんのお年賀状は、1月10日過ぎに「寒中見舞」の形でいただくのが、常だった。 2005年は、「雪の会津若松から」の褐色の見出し、青色の本文で、「むかし『北越雪譜』『雪国の春』などを読んでから、できるだけこの季節、積雪のつらさの一端を体感するため、雪国への旅行をしてきました。ことしは会津若松。ほんとうは只見の三島町の小正月を見学したかったのですが、もう体力に自信なく、当地の福島県立博物館で勉強し、有名な「十日市」のにぎわいをみております。小正月をむかえみなさまによき年でありますように。」とある。

 2008年は、「寒中お見舞い申しあげます」の見出しで、「恒例の「雪国の春」をたずねての旅、ことしは金沢から若狭路をとって、小浜に足をはこぶことにしました。若狭の井戸、八百比丘尼伝説など、いろいろ見学したいところがありますが、とくに廃仏毀釈以前の日本の心をとどめる神宮寺のありさまを体感することをたのしみにしております。年をかさねるごとにいささか大儀ではありますが、ことしも無理のないように、あれこれ見聞をひろげたいとおもっています。みなさまにも、どうかおすこやかにおすごしくださいますように。」

 ここに出て来る神宮寺は、福井県小浜市神宮寺町にある天台宗の寺。 霊應(れいおう)山(鈴應山)神願院と号する。 寺伝によると、714(和銅7)年滑元(こつがん)(和朝臣赤麿)が霊山を崇拝中に奇瑞(きずい)を得、その麓に寺を建て、神願寺と称し、翌年、若狭彦姫神(わかさひこのひめがみ)を迎え神仏両道の寺としたと伝える。 鎌倉初期、若狭彦神社を造営して別当寺となり、神宮寺と改称、盛時は25坊を有したという。

 神宮寺は、奈良東大寺修二会(お水取り)の「お水送りの寺」として知られる。 二月堂下の若狭井の水源は下根来(ねごり)の鵜之瀬(うのせ)であるとされ、3月2日には送水(そうずい)神事が行われる。 下根来八幡社で山八(やまはち)神事を行い、ついで神宮寺で修験者の修二会、達陀(だったん)(内護摩(ないごま))行法、神宮寺住職が鵜之瀬の淵で水切り神事を行って送水文を読み、清めた御香水を筒から遠敷川(おにゅうがわ)に注ぎ込む。 この水は10日かけて東大寺二月堂下の若狭井に湧くと伝えられている。