加藤秀俊さん、羽咋(はくい)から奥能登の旅2023/11/17 07:00

 加藤秀俊さんの『おもしろくてたまらないヒマつぶし 隠居学』(講談社・2005年)の「イワシの頭も・・・」の章に「日本の社寺」の節があって、「羽咋(はくい)にいってきた」で始まる。 先日、私が行って来た折口信夫・春洋の墓、氣多神社である。 加藤さんは、「念のためいっておくと、羽咋というのは石川県の加賀と能登の境界にある町で、このあたり「口能登」ともいう。七尾から穴水、はては輪島や珠洲(すず)など「奥能登」にたいすることばである。/ここにいったのははじめてではない。パーシバル・ロウエルというアメリカの天文学者がほんの気まぐれで「ノト」というひびきに魅せられて書いた旅行記のあとをたどってみたい、というので穴水まで足をはこんだこともあった。ご承知の向きもあろうがロウエルはたいへんおもしろい金持ちの学者で、いまでもロウエル天文台はアリゾナ州にある有名な天文台だ。穴水にはその記念館がある。/さらに、日本民俗学をちょっとでもかじったことのあるひとならご存じの「アエノコト神事」というのがのこっているのも奥能登の柳田村である。そんなついでがあったから羽咋にはなんべんか旅した」と、続ける。

 「わたしは折口先生を直接には存じあげていない。しかし先生が民俗学者として造詣がふかく、日本の古代文学研究にすぐれた貢献をされると同時に釈迢空という雅名によって知られる歌人でもあったことは学生時代から知っている。折口門下の池田弥三郎先生には、ときどき教えをうけた。だからなん年かまえはじめて能登にきてから、かならず折口先生の墓参をしてきた。今回でもう三度目になる。」

 「アエノコト神事」、私は『新日本風土記』「奥能登」で見て、強く印象に残っていた。 農耕儀礼で、戸主が田の神さまを旧暦11月5日(現在は12月5日)と旧暦正月5日(現在は2月9日)に、饗応する家ごとの行事である。 アエノコトとかタノカミサマともよばれる。 「あえ」は饗することだといわれている。 田の神の多くは片方の目もしくは両方の目が不自由で、夫婦(めおと)神であると伝えられている。

 家ごとの行事だから、いろいろなものがあるが、一例では、当日朝から準備に入る。 種籾(たねもみ)俵を床の間や神棚の下に積み、そこに山で切って来た榊などの木を立てる。 この俵が春の「あえのこと」まで田の神として意識される。 夕刻に裃(かみしも)姿の戸主が、苗代田で迎えの口上を述べて稲株を打ち起こし、扇を手に家まで案内する。 目が不自由だということで、溝などに心を配る。 玄関先で家族に声をかけ、一同が出迎えるなかを炉端の横座につく。 それから風呂場に案内し、湯加減を案じて声をかける。 風呂から戻ると、小豆飯、味噌汁、煮しめ、メバルの尾頭付きなどを盛りつけた膳を一つ一つ説明しながらすすめる。 甘酒も供える。 夫婦神ということで二膳用意する。 男神の膳の前には葉付の一本大根、女神には二股大根をつける。 家族は下座で各自の膳について、供え物と同じ料理を食す。

 2月9日の「あえのこと」は、田の神を送るということであるが、湯浴み饗膳などは同様の方式で行う。

 『広辞苑』は、「あえのこと」に「饗の事」でなく「饗の祭」の字をあて、新嘗祭・大嘗祭と同源の民間行事としている。