破門され、江ノ島弁財天に籠り「二の風」 ― 2024/06/10 06:59
両親に、江戸に出て鍼灸師として身を立てたいと話すと、母は驚き息子の身を案じたが、父はそれもいいかもしれないと山瀬琢一に息子を弟子にと手紙を書き、折り返し快諾の手紙が届いた。
養慶は親許を離れ江戸の山瀬琢一の下で、和一の名で修行に励むこと五年、自分なりに努力してきたつもりだったが、成果ははかばかしくなく、経穴を覚えるだけでは四苦八苦している上に、鍼を打つのがたいそう下手で、先生が「三里に打ってみなさい」と自らの膝を差し出してくれても、まともに打つことができない。 生来緊張しやすい性質で、集中しようとすると指先が震え出す。 おまけに汗っかきで鍼を持つ手が滑ってしまうので、きちんと鍼が刺さらない。 さすがに温和な先生も、「和一、五年修業してもお前の鍼の腕は箸にも棒にもかからない。お前に素養がないのか、私の教え方が悪いのか、いずれにしてももうこれが限界だ。残念ながらこれ以上お前を指導することはできん」と、おっしゃった。
要するに破門だ。 先生の連絡で親元から迎えがきた。 父の言伝は、とりあえず国元に戻ってこれからの身の振り方を考えよとのことだった。 和一は、東海道を上る道々、思案し続けて、伊勢へは行かず、京都で適当な師匠を探して音曲の修行をしようと考える。 転機が訪れたのは藤沢宿、ふいに江ノ島に立ち寄ることを思いついた。 江ノ島には弁財天が祀られている。 弁財天は母が実家で先祖代々守り神としていた神様で、幼少の頃学問に秀でるよう祈願しろと近在の弁天様にお参りしたことがあった。
江ノ島の弁財天にお縋りして、開運を祈願する断食行、お籠りをしようと、岩本院に申し出るが断られ、上之坊で断られ、岩屋で一夜を明かした。 翌日、岩屋を出たところで運よく下之坊の宮司恭順に出会った。 恭順は、和一と同年代の若い宮司で、信仰心の厚い純粋な人だったから、和一は末社に籠り、七日七晩の行に入ることができた。 飲まず食わずでひたすらに祈ったが、何の「神応」もなかった。 二度目の七日七晩の行にも「神応」はなかった。 恭順は、やつれ果てた和一を見て、再三断食を止めるよう忠告した。 すべては弁財天様のお心のまま、もし何の啓示もなければ、それは死を意味し、潔く死のうと覚悟を決める。
三度目の飲まず食わずの七日間も終わった。 だが、やはり何の啓示も授からなかった。 日の出からまもなく、放心したように籠り堂を出、天女窟に参詣しなければと岩屋へ向かい、茫然自失の状態で弁財天様にお参りをした。 下之坊へ帰ろうと岩屋を出て歩きかけた時、あの風が吹いたのだ。 妙に温かな優しい風が、首筋から頬にかけて撫でるよう吹き過ぎ、誰かの声が聞こえたような気がした。 「迷わず真っすぐに進んでお行きなさい」
とたんに何かに躓いて前のめりに転んだ。 萎えた体で起き上がることもできず暫くはそのまま枯れ木のように転がっていたが、我に返った時、自分が何かを掴んでいることに気づいた。 筒形に丸まった葉っぱと、それを貫いて包まれている一葉の松葉だ。 突然、ある考えが閃いた。 そうか! この松葉が鍼とすれば、葉っぱは筒のようなものだ。 この筒を細い管に替えて鍼を通し、それを皮膚に立てて、鍼頭を叩けば狙った経穴に正確に鍼を打ち込むことができる。 そうすれば盲人でも楽に鍼を扱える筈だ!
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