《近代国語の誕生と近代建築》2024/07/09 07:03

    《近代国語の誕生と近代建築》<小人閑居日記 2012.7.12.>

 槇文彦さんは、第一の特性《近代国語の誕生と近代建築》の話に入る。 1850年頃からの日本の近代化と共に確立された日本の国語は、独特なものであった。 漢字とカナの併用という他の文化に例をみないユニークな言葉として、今日も使われている。 漢字は表意、カナは表音を意味し、そこで抽象概念と感性の所産の同時表現を可能にしている。 一例に、雨の表現を挙げる。 漢字では、理性的・合理的な、驟雨、豪雨、秋雨、私雨(private rain、富士山麓でしょっちゅう雨が降る等)。 カナでは、感情的・感動的な、ぽつぽつ、ぱらぱら、しとしと、ざあざあ。 槇さんは、この議論が内田樹さんの『日本辺境論』(新潮社)にもあることに触れた。 内田さんは養老孟司さんから日本では難読症が少ない(外国の1/10くらい)のは、脳に理性と感性の「二つの袋」があるからだと聞いたそうだ。 内田さんは、日本がアニメに強いのは、この漢字とカナの文化のためだろうという。(〔馬場メモ〕恥ずかしながら『日本辺境論』は未読だが、梅棹忠夫『文明の生態史観』第一地域の日本と関連があるのだろうか。)

 それを受けて槇文彦さんは、建築のデザインは知性と感性の袋の間断なきキャッチボールによって遂行されると言う。 そのことはアニメと同様に、なぜ日本の現代建築が重要な発信基地として位置づけられているかの、一つの証左である、とする。 日本には各年代に、層の厚い建築家が存在し、理性と感性のバランスがよく取れている。 それには現代化の過程での、日本の建築の教育システムに理由がある。 東京大学建築学科は、1877(明治10)年に来日したジョサイア・コンドルが工部大学校造家科講師として日本人建築家を養成し、明治初期の多くの重要な建築を設計、監督したことに始まる。 また、植民地化されていなかったことによって、各国の「いいとこ取り」をすることが出来た。 フランスから料理、イギリスから造船、ドイツから医学、工学というように。 建築は、ドイツの大学の教育法を導入した上に、イギリス人コンドルを招き、両方の「いいとこ取り」をした。 日本には既に工匠清水喜助(築地ホテル館などを手がけ、清水建設の祖)等がいたが、工部大学校造家科の第1回生4人、辰野金吾(日本銀行本店、東京駅)、曾祢達蔵(慶應義塾旧図書館)、片山東熊(東宮御所(今の迎賓館)、東京国立博物館表慶館)、佐立七次郎(旧日本郵船小樽支店)などが、活躍するようになる。 辰野金吾はイギリスに留学して、builder(建築業者、トマス・キュービック?)に就いて、実際に造ることの重要さを学んだ。 曾祢達蔵は慶應義塾創立50年記念の旧図書館を設計したが、創立125年記念で新図書館を設計した槇文彦さんは第73回生だそうだ。

 そもそも建築は、日本人に向いている。 設計は少人数でやる。 コミュニケーションが取りやすい。 三田の山のようなものでも、4~5人で設計する。

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