柳家さん喬の「雪の瀬川」中 ― 2025/03/20 07:08
さん喬「雪の瀬川(下)」の(上)<小人閑居日記 2012.1.25.>
さん喬は「雪の瀬川(上)」を、私なぞ(12.29. と30.)よりうまくまとめて、(下)に入った。 吾妻橋の上に、今まさに飛び込もうかという男がいた。 若旦那さん、鶴二郎さんじゃあございませんか。 私です、忠三です、お久しゅうございます。 忠さんは、江戸にいたんですか。 忠三は下総屋の店の者で、女中のお勝と駆け落ちした。 あちらこちらと流れたが、今は二人で屑屋をして暮らしているという。 鶴二郎は、今は若旦那でも何でもない、ひょんなことから松葉屋の瀬川太夫に惚れて、夫婦になる約束をした、毎日会いたくて会いたくてたまらない。 親父は、遊びをやめろ、やめなければ勘当すると言った。 そして、とうとう勘当になった。 切なくて、死んじまおうと思っているところで、忠さんに声をかけられた。 家へ行って、ゆっくりお話を伺いましょう。
お勝、お客様だ。 久し振りだねえ。 若旦那、申し訳ありません、恩のあるお店を出てしまいまして…。 大家さんのとこへ、行ってくるよ。 嬉しいね、忠さんが頼みがあるというのかい、金か銭か? あっしの所に居候を一人、囲ってもよろしゅうございますか。 お店の若旦那で、中の瀬川太夫、あの一枚看板に描かれるような瀬川太夫に惚れて、半年で八百両使って、勘当になった。 真面目な人なんだろう、好きなようにしてやれ。 忠さんとこは蜜柑箱だったな、丸の卓袱台を持ってけ、ウルメや梅干しも沢山あるから、持ってけ。 いいえ、面倒は私がみんなみさせてもらいますから…。
若旦那は、二階で寝て頂いた。 夫婦は一枚の掻巻(かいまき)で寝た。 十日、二十日と、そんな暮し。 忠さん、ちょっと話がある。 堪忍しておくれ、昨日、お湯の帰りに、魚屋の前を通ると、うまそうなマグロのサクがあった、それをついお勝さんに話した。 夕飯にマグロのサクが出た、何てバカなことを言ってしまったかと思って…。 本さえ読めば、何でも身に付くものだと思っていた。 初めてわかった、畳の上の水練、水に飛び込めば、溺れる。 店の衆が汗水たらして働いてくれたお金を、私は湯水のように使っちまった、申し訳がない。 若旦那、手を上げて下さい。 お店で若旦那は、私のことを忠兄ィちゃんと、言って下すった。 ここは兄貴の家ですよ、何を遠慮するんです、兄ィちゃんには甘えて下さいよ。 ありがとう、私は手紙を書いていた。 これを持って行っておくれ。 いくらかは融通してくれるはずだ。 いや、お父っつぁんの所じゃあない、瀬川の所だ。 若旦那、通っていりゃあ客でございますが、今はご勘当になったタダの人間です、世の中、そんなに甘くない。
さん喬「雪の瀬川(下)」の(中)<小人閑居日記 2012.1.26.>
それでもと頼み込まれた忠三が、竹中という料理屋で聞き、幇間の宇治五蝶の家へ行く。 師匠は旅で、伊豆の方へ行っている、三日、五日、十日居ずでしょうか、などという。 下総屋鶴二郎の使いの者で、若旦那のお手紙を届けに来たと言うと、若旦那、お達者でございますか? 私の所で、お預かりしています。 ご無礼をいたしました、噂を頼りにあちこち探したが見つからない。 大川で土左衛門で上がったという噂を、誰かが太夫に話してしまったので、太夫は泣き暮しておいでで…。 ちょいと、お前さん、いつまで隠れているんだよ。 ヨー、ハッ、仏壇にご位牌、外へ出たら借金取り、と五蝶が出て来て、使い走りの寛治を呼んで、手紙を届けさせる。
私(寛治)もこの世界に十五年、あんな花魁はおりませんね。 すっかり痩せておいでだった。 大事な方は一人しかおりやせん。 ひったくるようにお読みになって、大粒の涙をぼたぼた。 お達者でよかったと、手紙を抱きしめて、「若旦那!」と。 私も、もらい泣き。 お使いの方に、お蕎麦でも召し上がって頂くようにと、五両お預かりして、お便りはまた改めてということで。
手紙が来て、二十両が届く、お世話になりました、お勝様に何か召し上がって頂くようにと、別に五両。 忠さん、瀬川が来るって、雨の日に。 それは足抜きじゃないんですか、捕まると痛い目に遭って、大川に流される。 いいのさ、瀬川がここへ来れば、仕舞だよ。 それで仕舞さ、いいのさ。
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