『明暗』で浮き上がる「強制徴兵制」 ― 2017/02/23 06:35
小森陽一教授は、漱石が「軍国主義」と「個人の自由」の問題の真意を、そ の1916(大正5)年5月26日から没後の12月14日まで東京朝日新聞に連載 され、未完に終わった『明暗』で伝えていると言う。 主人公津田の痔の手術 で始まる、世界的にない小説だ。 津田の妻、お延(のぶ)は、夫の痔の手術 にきれいな着物で来ていた。 その後、伯父岡本や、姪の継子たちと、芝居に 行くからで、津田の会社の上司吉川の夫人が仲人役で、美人の継子と三次(み よし)のお見合いなのだった。 三次は、戦争前後にドイツから逃げて来たと いう、それは第一次世界大戦。 岡本と吉川には、洋行体験がある。 吉川夫 人が岡本の洋行は、普仏戦争(1870年~71年)時分? パリに籠城した組(パ リコンミューン)じゃないのねと聞き、冗談じゃないよ、という会話がある。 岡本は吉川をロンドンで案内したが、自動車が出来たてで(1885年、ドイツで 内燃機関のダイムラーとベンツ)、ロンドンでは鈍臭い(のろくさい)バス(蒸 気の外燃機関)が幅を利かせていた時代だ、エドワード7世の戴冠式(1901 年)を見た、と。 ドイツはいち早く内燃機関、ガソリンへのエネルギー転換 をし、1895年にはガソリン・バスも出来た。 1914年7月に始まった第一次 世界大戦は、石油をめぐる戦争でもあった。 エドワード7世戴冠の翌1902 年に、日英同盟を結んでいた日本も今いう集団的自衛権の発動で8月に参戦、 秋にはドイツ領の青島を占領した。 大日本帝国の来歴である。
小森陽一さんは、この展開の背後に「強制徴兵制」が浮き上がるという。 日 本が「徴兵制」を実施したのは、普仏戦争でのプロイセンの勝利がきっかけだ った。 1871(明治4)年岩倉使節団が派遣され、近代国民国家はプロイセン をモデルにしよう、「強制徴兵制」と「軍国主義」、憲法もやがてドイツ型にな る。 1872(明治5)年11月28日「徴兵の詔(みことのり)」が、翌年1月 10日「徴兵令」が出され、1875(明治8)年までに北海道、沖縄を除き実施された。(つづく)
漱石没後百年、「軍国主義」と「個人の自由」 ― 2017/02/22 06:36
「等々力短信」第1087号(2016(平成28)年9月25日)「パソコンで聴く ラジオ」に書いた「らじる★らじるNHKネットラジオ」で、いろいろ聴いて いる。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2016/09/25/8200167
「文化講演会」では、小森陽一東大大学院総合文化研究科教授の『没後百年 に読みなおす夏目漱石』(2016年10月20日・学士会午餐会での講演)を聴い た。
2016年は漱石没後百年、2017年は漱石生誕百五十年に当たる。 漱石がその12 月9日に亡くなる1916(大正5)年、1月1日の東京朝日新聞に第一回を載せ たエッセイ『点頭録』から、話は始まる。 『点頭録』の二大テーマは「軍国 主義」と「トライチケ」、時は1914年7月に始まった第一次世界大戦の真最中 である。 トライチケ(トライチュケ)はドイツの歴史家・政治学者、権力国 家思想を鼓吹し、ビスマルクがプロイセンで「強制徴兵制」を取り北ドイツ同 盟を中心として普仏戦争に勝利してドイツ帝国を築く(1871年)、そのイデオ ロギー的柱となった人物だ。 ある人に欧州大戦(第一次世界大戦)について の感想を求められた漱石は、それは「軍国主義」の未来の問題に他ならないと して、ドイツによって代表される「軍国主義」が、多年英仏において培養され た「個人の自由」を破壊し去るだろうか、「軍国主義」と「個人の自由」のどち らが勝つのか、ということが重大な関心であるとした。
「軍国主義」の要(かなめ)にあるのが、「強制徴兵制」である。 ところが 「個人の自由」を長年、人間の一番大事なものと考えてきたイギリスの議会は 105対403で「強制徴兵制」案を可決してしまった。 ギッシングを引き合い に出し、どれだけイギリスの人たちが、「個人の自由」を他人に奪われ、何事か をむりやり強制されることを嫌がっていたか、それはイギリス人の天性のよう なものだったのに…。 それはどういうことか、ドイツが真っ向から振りかざ してくる「軍国主義」の前に、現に非常な変化が英国民の頭の内に起ったとい うことで、「軍国主義」の勝利と見るほかない。 戦争が片付かない内に、イギ リスはもうドイツに負けたと評してもよいものである。
漱石はそういったが、漱石の没後、アメリカが参戦したことで、英仏連合軍 が第一次世界大戦に勝利し、ドイツは莫大な戦争賠償金を課せられ、それに対 するドイツ国民の不満をヒットラーが束ねて台頭し、第二次世界大戦へと流れ る。 そのドイツと、日本とイタリアは枢軸国となって戦って、敗れた歴史を、 われわれは知っている。 だが漱石が人生の最後に予告した「軍国主義」と「個 人の自由」の問題の真意を、改めて考えてみたいと、と小森陽一教授は話を進 める。(つづく)
『新興国から見える日本のすがた』 ― 2017/02/12 07:09
そこで高橋秀明さんの講演は、新興国でのグローバルリーダーシップ研修か ら見えてくる『日本のすがた』という核心の話になる。 ミャンマーでは、生 のミルクを飲まない、カゼインを消化できない体質、子供は背が低い。 子供 にミルクを飲ませるプロジェクトをやったのだが、子供たちは親し気でにこや か、合唱をしたりしてくれる、木を削った独楽で遊んだりしている。 子供の 姿が将来の姿だ。 新興国を見ていると、何十年か前の日本の生活を思い出す。 そして、日本のいい所が、新興国で見えてくる。
≪これまでの日本のすがたは、どうだったか≫
〇奇跡の日本…明治維新後、第二次大戦後の復興と成長。
〇幕末明治、植民地化を辛うじて食い止めた。 アジア諸国では、タイ以外、 みな植民地となり、本当に酷かった。 日本は植民地化されなくて、まことに よかったのだけれど、ピンチをどう切り抜けたのかを、しっかり考えねばなら ない。 自分は戦後生まれで、(近代史、)昭和史を習っていない。
〇人口ボーナス…維新の頃3500万人だった人口は、われわれの時代3.5倍 の頂点になっていた、それが今、下がっている。
〇戦後の平和ボーナス…吉田茂首相の戦力を持たない政策で、防衛にお金を 使わなかった、その恵みは大きい。 スリランカでは内戦が続き、経済が伸び なかった。 日本は、戦争がなくて、経済が伸びた。
〇資源の呪いがなかった…産油国のように資源があると、働かないというチ ョイスがある。 日本は資源が何もないから、一生懸命働かなければならなか った。
〇知育・体育・徳育が日本を創った…日本の教育水準は大変なものだ、音楽 や図工までちゃんとやる。 アメリカ人は、ほとんど音譜が読めない。
〇勤勉、努力、誇り、技術立国…資源がないから、技術立国。
〇でも、今に至る道のりを忘れてはいけない。
≪これからの日本のすがた≫
〇少子高齢化による世界に類を見ない人口減少…人口オーナス(重負荷)。 2050年には、人口5千万人を切る。
〇移民との共生、文化の調和…大量の移民を入れないというオプションはな い。 相手国と条約を結び、きちんと制度設計し、同化プログラムも必要。 移 民と難民は違う。
〇地方の再構成…コンパクト・シティ化など。
〇いままでの道のりを活かすこと。 勤勉、努力、誇り、技術立国。
〇徳育の再構成…親が教えるしつけが大事。 感謝の気持ちを表す会釈(ス リランカでは子供が会釈する)、人をお互いにリスペクトする。 宗教は、日本 のように信仰の弱い方が有利、多様性の尊重。 一神教などだと、宗教の縛り が解けない。
あるグローバル経営幹部研修の話 ― 2017/02/11 06:41
「体育」に関連して、その仲間内の情報交流会で聴いた素晴らしい講演を紹 介したい。 「これまで日本のすがた」を創ったのは、知育・体育・徳育であ り、勤勉・努力・誇り・技術立国だという話があったからだ。 演題は『新興 国から見える日本のすがた』、講演者は高橋秀明さん、慶應義塾大学大学院 政 策・メディア研究科 特任教授。 昭和47年慶應義塾大学工学部修士課程修了 後、ニューヨーク州立大学コンピューターサイエンス修士課程修了、コロンビ ア大学エグゼクティブ・ビジネス・アドミニストレーション・プログラム修了、 米国に15年滞在。 日本NCR会長、米国NCRコーポレーション上席副社長、 米国AT&Tコーポレート・オフィサー、富士ゼロックス代表取締役副社長、富 士ゼロックスパロアルト研究所会長を歴任し、2006年より現職という方だ。
そして日米欧亜の企業で社外取締役や経営アドバイザーを兼務。 加えて国 立科学博物館経営委員やITベンチャー、ソーシャル・ベンチャーの経営指導、 アジア・国内でのグローバル・エグゼクティブ教育に従事なさっている。
2011(平成23)年から今までに、香港に本拠を置くシンクタンク、GIFTが 開催するグローバルリーダーシップ研修のシニアメンターとして、約20の社 会問題解決プロジェクトに参加した。 プロジェクトは、すべてアジア諸国で 開催され、世界中の企業から選抜された20名超の参加者が、現地のスポンサ ーによって提起された社会問題をフィールドワークで調査し、解決策を事業計 画として提案する形で行われた。 新興国の問題は、世界有数の少子化・高齢 化が進む日本が直面するより基本的なものとはいえ、それらの国がどのように 解決していくのかを理解すると、日本が新たな社会問題にどのように挑戦すべ きか、有益な示唆が得られるように思う、というのだ。
GIFT“Global Institute For Tomorrow”の創設者でCEOはChandran Nair (チャンドラン・ネール)氏、そのグローバルリーダーシップ研修である。 参 加者は8~12か国ぐらいからの25~30名、25歳~40歳、世界500位ぐらい までの企業が部課長から理事を派遣し、日本人も5~7名(オリックス、NEC、 第一生命、セブンバンク、リクルートなど)、セミナー参加費は1万5千ドル (約170万円)。 12日間、最初の5日は香港で座学、次の7日間がハードで、 現地でのフィールド活動が中心。 例えば、インドネシアのジャワの密林にある 13世紀からのカセプスタン王国(自治権を持つ)で、小さな水力発電のプロジ ェクトを検討する。 カセプスタンは森に住む人の意、基本的には自給自足で、 現金を稼ぐ手段がない。
他に活動した国や対象プロジェクト(農業・金融・エネルギー・医療・水・衛生・ 住宅)は、つぎの通り。
インド:低コスト灌漑、物々交換経済圏、救急・救命搬送、低所得者用住宅
ミャンマー:牛乳生産事業
イラン:リンゴ農業振興
スリランカ:マイクロインシュランス(少額保険)
ベトナム:低価格医療器
ラオス:無電化村電化
カンボジア:もみ殻発電、上水道施設運営
フィリッピン:小作農米作生産性向上
インドネシア:小水力発電(カセプスタン)
モンゴル:小企業育成ファンド
中国:農協・講による生産性改善、省エネルギー、植物性プラスティック、アルファ ルファ農業振興
まず現地の人がどう暮らしているか、なぜ現状打破(多くの場合は貧困)で きないか、参加者は一人の人間として何ができるのだろうか、話を聞き、聴き、 訊き、分かり合う。 そして稼ぎの方程式を考える。 参加者は、没頭し、本 気で意見を戦わせる。 学ぶのは、リーダーシップはオーナーシップ、自分の 本分を果たす、徹底的な実戦・実践、現実を理解し受け容れる力、個人の当事 者意識、責任感の認識。 行動様式の研修で、ポジティビティ、失敗してもダ メ元、変えられるのは現在と未来だけ、マインドフルネスが身につく。 リー ダーシッブは生鮮品、今こそ出る時だ! 今でしょ! 自分が変わったことを認 識する。 やり合ったり、褒め合ったりして二週間、終わればハッピー、生涯 の友達になる。 グループ全体で、持続可能なビジネスモデルを創り出し、そ の5年プログラムを最終的にビジネスプランとして、無料で提案、提供する。 最終日の発表の聴衆は、スポンサー、NGO、政府機関、大学研究機関、商工会 議所、メディア、学生など。
変革の時代のリーダーシップは、何が必要かを感じる力、共感性が基本の其 で一番大事であり、技能から人間力、何でも自分で出来る人になること、 Tomorrow明日のことは大事、すぐやらなければない、と言う。 中国、イン ド、インドネシアで、人口が爆発的に増えている。 既にイカやサンマの獲り 合いになっている。 孫の世代は生きられるのか。
サトウと同僚の見た「ええじゃないか」 ― 2017/01/31 06:34
<小人閑居日記 2013. 5. 25.>「犬の伊勢参り」に、柳家さん喬の落語「鴻 池の犬」から始めて、こんなことを書いていた。 「おかげまいりの大騒ぎを盛り上げた一つに、天からお札が降ってくるとい う奇瑞がある。 仁科邦男さんの『犬の伊勢参り』(平凡社新書)は、その仕掛 けにも言及しているそうだ。 高い山や木に登り、葦(あし)でお札をはさみ、 下の方に団子や油揚げを串刺しにしておくと、カラスやトンビがくわえる。 食 べれば、お札が下に落ちるというわけだ。 「お蔭参り」や「ええじゃないか」の大衆的狂乱は、倒幕維新の成就に影響 を与えた。 大隈重信の「誰かの上手に巧(たくら)んだ芸当」という見方も あり、大河ドラマ『八重の桜』では踊り歩きの後ろで西郷隆盛(吉川晃司)が 派手な着物を着ていた。 私はふと、「アベノミクス」景気にも同様の仕掛け人 がいるのではと、皮肉な連想してしまった。」
萩原延壽さんの『遠い崖』「6 大政奉還」に、アーネスト・サトウも大坂の 町で「ええじゃないか」を見た話が出て来る。 慶應3年11月13日(1867 年12月13日)のサトウの日記、「午後六時半、安治川に通じる別の河口を通 って、大坂の外国人居留地の向い側に到着。『いじゃないか(i ja nai ka ええ じゃないか)、いじゃないか、いじゃないか』と歌い、踊りくるう群衆の中を大 いそぎで通り抜けようとする。家という家は、色とりどりの餅、みかん、小さ な袋、藁、花などで飾られている。着物はたいてい赤いちりめんだが、なかに は青や紫のものもある。大勢のひとが、頭の上に赤い提灯をかざしながら踊っ ている。これは、最近伊勢の両神(天照大神と豊受大神)の名前をしるした御 札(おふだ)が大量に降ったお祝いだと言い囃されていた。」
この大坂滞在中、サトウは何度も「ええじゃないか」と踊りくるう人々の群 に出逢った。 ミットフォードも、このサトウ日記の記述の10日後にパーク スにおくった報告の中で、その騒ぎの裏をこう洞察している。 「そこには政 治的な意味がこめられていないとはいえない。」 「なんでも人類の創始者であ る伊勢の両神が現在の政情に怒りを発し、古いすみかである江戸を捨てて、途 中その名前をしるした御札を降らすという奇蹟を演じながら、東海道をすすみ、 ついにこの大坂のあてりまできて、御札を降らすことをやめた、そこでこの奇 瑞を祝うというのである。」 「いくつかの藩にそそのかされて、神官たちがこ の奇蹟を演出したといわれている。その狙いは、大君の都(江戸)にまつわる 盛徳の一部を剥奪することによって、民衆の心の中にある大君の都の地位を下 落させることである。江戸の存在理由に加えられた打撃は、とりもなおさず大 君の権威にたいする挑戦である。大君の敵は、政治と宗教の中心地としての大 君の都の意味を、根底から切りくずそうと断固決意しているかに見える。」 「多 額の出費はそれぞれの町が負担して、祭りはつづけられた。ひとびとは興奮と 酒にわれを忘れているが、秩序は保たれている。サトウ氏とわたしは、昼とな く夜となく、外出するたびにそういう群衆に出逢ったが、一度として不愉快な 目に会ったことがない。もちろん、この祭りのひとびとの中にさむらいの姿は 見かけない。」
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