志木高で体育を教わった関岡康雄さん「惜別」2017/02/10 06:35

 仲間内の情報交流会で声をかけてくれた病院の会長だが、慶應義塾志木高校 の同級生なので、関岡康雄さんが亡くなったことを話したら、知っていた。 私 は1月28日の朝日新聞夕刊「惜別」で知った。 実は、関岡康雄さんには志 木高で体育の授業を受けたのだが、この記事を読むまで、その後の先生とその 業績については、まったく知らなかった。 志木高には、慶應の陸上の名選手 だったという湯浅徹平さんの後任として来られ、東京教育大(現筑波大)を出 たばかりで、三段跳びの選手と聞いていた。 ハードルの跳び方などを教わっ たり、控室にその日の種目の指示を受けに行った記憶がある。 私は16、7歳、 関岡さんは22、3歳ということになる。

 2016年9月12日に急性白血病で亡くなった、81歳。 肩書は日本学生陸上 競技連合会長。 「惜別」(小林直子記者)によると、志木高や東京教育大付属 中・高で体育教諭をし、(私が大学を卒業した)1964年には20代で東京教育 大陸上競技部の監督を任された。 筑波大になってからも監督、部長を歴任。  「人と関わるのが大好き。根っからの教育者」と教え子は言うそうだ。 退職 後は仙台大、九州共立大でも教壇に立った。

 その傍ら、日本学生陸上競技連合(日本学連)では、全日本大学駅伝や出雲 全日本大学選抜駅伝など多くの大会の立ち上げ、運営に奔走。 強化委員長、 専務理事などを経て、2014年に会長に就任した。

 日本学連の学生に対しても「社会人」扱いの厳しい指導で接したそうだが、 一緒に酒を酌み交わし、毎年、スキー旅行で新潟県を訪れて、「おじいちゃんの ような存在」で、学生たちは親しみを込めてひそかに「関ちゃん」と呼んでい たという。