まり千代さん2008/07/22 07:12

 岩下尚文さんの『芸者論 神々に扮することを忘れた日本人』(雄山閣)の口 絵に、橋本明治画伯の「まり千代像」(昭和29年)がある。 説明文に「戦後 に再興された「東をどり」の座頭格であった政森川まり千代は、颯爽たる風姿 と芸容の大きさで、花柳界の男性客のみならず、一般の少女たちからも人気 を博し、昭和の東京芸者を代表する名妓であった。聡明さを静かに湛えて端然 と坐す。一代の名妓の肖像を描いた橋本明治は、全盛期のまり千代の澄み切っ た芸境をよく捉え、本作は日本芸術院賞を贈られている。」「東京の花柳界で名 妓と呼ばれるには、美貌や色気より、先ず各流儀の名取芸者になることが必須 とされ、(中略)なかでも舞踊の方面で才能を伸ばすものが増えた」「ことに戦 後の東京の花柳界は伝統芸能の維持継承の場として、当事者たちに強く意識さ れるようになり、新橋のまり千代はその象徴的な存在であった。」

 この絵から10年後の昭和39年4月、私は就職した銀行の銀座支店に配属さ れた。 古い電通の前、日軽金のビル、今はリクルート・ビルのコーヒーショ ップになっている所に支店はあった。 支店は新橋の見番と取引があり、まり 千代さんはときどき来店、支店長の席の横に座って、四方山話に興じていた。  得意先係は、月に一度、数人で見番に出張して芸者さんたちに給料を手渡すこ とになっていたが、そんないい役は新人には回ってこなかった。 集金か何か で見番に行き、かつては文学青年であったと思われる年配の事務の方と話をし ていて、吉行淳之介の『砂の上の植物群』は読んだ? すごいよ、と教わった のを、これを書きながら思い出した。